早川寿美子 園長便り

クリスマスの思い出

2019年12月2日発行「おたより」第521号より

 保育園は今、クリスマスを迎える準備の季節です。子どもたちも祝会に向けて何となくワクワクしたり、クリスマスの飾りなどが増えていくのを楽しそうに眺めていますが、落ち着かない気分でもいるようです。
 私も子どものころ、家族中がなんとなく慌ただしく、漬物づくりやら、大掃除やら、クリスマスツリーの準備やら、小さい子どもたちも手伝うことがたくさんあって大変だったけれどワクワクした気分でした。
 大掃除や障子の張替え、天気のよい日に古い布団や、綿入れといわれる、綿を入れた半纏(はんてん)の手入れをします。小学生のころ、曾祖母がほどいて洗ったり、ふんわり干したりした布や綿などを広げ、角のところに真綿を丁寧に詰めるのを手伝ったことをよく覚えています。「真綿」を入れると、布と綿がしっかりなじんでふんわりして、綿が偏らないことがなんとも不思議でした。
 また、毎年母が、お正月に着るセーターを編んでくれるのですが、その模様を姉と私に選ばせてくれました。私は花や動物が好きで、ずいぶん無理なことを言ったようで、母は苦労しながらもかわいい「バンビ」を編んでくれたときは本当にうれしかったのを覚えています。母はいわゆる「職業婦人」で、当時めずらしく昼間は家におらず、曾祖母が家事をしていました。忙しかったでしょうに、夜なべをして、洋服を足踏みミシンで縫ったり、セーターを編んでくれたことを、今になってありがたく思い出します。
 クリスマスは幸せな思い出を、懐かしく思い出す時でもあるのでしょうね。
 子どもたちにも、大人になって思い出す美しい思い出が、このクリスマスの季節に与えられますように。みなさまによいクリスマス、よい年を、と願っています。

マローンおばさん

2019年11月1日発行「おたより」第520号より

 台風で皆が避難所に避難していた時、いわゆるホームレスの人の入室を区の職員が断ったというようなニュースを耳にした。それがあまり話題にもならず、区の対応としては「避難してきた一般の方々が嫌がるのではないかと判断した。今後はそういう方(ホームレス)の入室ができるよう場所を別に用意したい」というようなことをチラリと聞いたような気がする。
 テレビなどでは、これでもかというほど毎日同じようなスキャンダルめいた出来事を放映し、被害の状況などもくり返し報道されているのに、この問題はそれほどの問題にはならなかったようである。でも、私はこの出来事がさりげなく報道されたことに、何かひっかかる。私たちはこの報道から何を知り、何を学んだのだろうと思う。
 自然の驚異の前で、私たちの日常が大変な危機にさらされている時、シェルターに入れる人と入れない人を峻別するものは何なのだろう。私たちの社会は、ずっといつもこうだったのだろうか。災害の多い国で、皆が貧しい時代に大きな災害に見舞われた時に、きれいごとばかりだったとは思えない。でも、このニュースがさりげなく、本当にさりげなく報道され、議論もされないことに、何かいつまでも違和感があり、心の中に小さなトゲのように残っているのだ。
 あの台風のあと、秋晴れの空を南畑で見上げた時、「今日はよい天気をありがとう。おひさまありがとうございます」そんな言葉がふと心に浮かんだ。私の曾祖母が毎日のように早朝のおひさまに向かって手を合わせ、呼びかけていた姿である。冷害に苦しめられていた貧しい時代、人々は助け合い、太陽の暖かさに感謝したのではなかったろうか。私はこの嵐の中、戸を閉ざしたニュースを聞いた時、なぜか昔シルエットで上演したマローンおばさんの話を思い出した。
 これは森の中でひとり暮らしをしているマローンおばさんのお話で、こうした情景で物語は始まる。「マローンおばさんは森のそばの小さな家で、ひとりで暮らしていました。毎日家の周りでたきぎ拾いをします。肩掛けをしっかり身につけ、ずきんをかぶり、外に出るとその日一日使うたきぎを拾うのです。夜になると、古いぼろ布を敷いて、おばさんは床の上で寝ます。おばさんの持っているものはこれがすべて。そまつなベットさえもなく、ぼろ布にくるまって寝るおばさん」。
 そのマローンおばさんの家に、凍てついたある冬の夜、お客が来る。最初は凍って死にかけたスズメ、次に飢えた猫にキツネの親子。重荷を負い続け、傷だらけのロバ。次の日には、飢えたクマがやって来るが、おばさんは「あんたの居場所くらいここにはあるよ」と言い、持っているすべてを動物たちに与える。「神様はご存知さ、どんな動物たちだって、みんな生きていかなきゃいけないってことを」。そのマローンおばさんが亡くなり、動物たちはロバの背中におばさんを乗せて、天国の門へ向かう。その時、門番が「母よ、入りなさい。その門から入って神様のそばへおゆきなさい。あなたのための場所がここにありますよ。マローンおばさん」。」
 この話を、あのニュースの後よく思い出す。

トモエ幼稚園のこと

2019年10月1日発行「おたより」第519号より

 夏は毎年、北海道の家で過ごしている。ここは子どものいないかった私の叔父からの贈り物で、夕陽が美しい海沿いの別荘で、毎年、学園の人たちと過ごしたり、最近は卒園児やその家族も訪ねてくれたりしている。
 学園のメンバーとの10日間の合宿のとき、毎年、トモエ幼稚園におじゃましているが、今年は久しぶりに、皆が東京に帰った後に行われた研究会に参加した。トモエの創立者で園長でもある木村先生の、3日間にわたる研修である。30年以上も前に初めて出会い、師とあおいだ先生の当時と変わらぬお話。30年以上もの間、子どもの「生命」に驚き、母と子の間の基本的な関係としての「愛」を信じ、それを助け守ろうとする、トモエ幼稚園の姿勢を改めてかみしめるような話だった。
 幼児教育の先輩としても追いかけてきた先生の、闘病でやつれた姿の中になおみなぎる人への愛を感じつつ、先生が幼稚園をつくられた頃から一貫して続けられている「子どもに森や林を」という子どものための森づくり一坪運動を、一般に理解が得られなく、なかなか進まない中でも未だに続けている先生の執念とも思えるような活動、そして、山の中のこの小さな幼稚園の活動に、改めて感動を覚えた。
 しおん保育園は、今やっと隣の町ではあるけれど、子どものための森づくり、南畑牧場が私たちの第一歩としてやっとスタートしました、と先生に報告しなければと思いつつ、「山の中の幼稚園」を後にしたのであった。

七つぼしのおはなし

2019年9月2日発行「おたより」第518号より

 先日、夏休み最後に南畑牧場で滝山しおんと合同のキャンプをしてきました。小学生が主ですが、みんなしっかりとお兄ちゃんお姉ちゃんをしていました。今年も父母の方が何人か来てくださり、いろいろ手伝ってくださいました。小学生も高学年になるとすっかりたくましくなり、先生のお手伝いをしてくれようになってくれるのがたのもしく思います。
 牧場は少し雲が多く、星空とはいえませんでしたが、晩祷礼拝の時、今年の影絵劇にする七つぼしの話を、子どもたちにしてみました。
 この話はトルストイの晩年の民話のひとつですが、とても美しい話です。日照りが続いた村で少女が、病気で死にそうな母のために、何とか1杯の水を飲ませたいと、水を探しに出かけます。やっと木のひしゃくにわずかの水を与えられましたが、その大切な水を死にそうな犬と旅の老人に与えます。その時、ひしゃくが輝き、ダイヤモンドがあふれます。そして、そのひしゃくは天に上げられて、それ以来、村にはひどい日照りがなくなり、天からの水にうるおったという話です。
 トルストイは末っ子ですが、長兄が大好きで、彼と一緒に森の中の「みどりのつえ」を探す遊びをした、と言われています。みどりのつえは、なんでも望みが叶うつえです。すべての人が幸せになるためのみどりのつえを探し求めたのが、彼の一生だったと思います。
 人が愛し合うところにこそ神が在られる。そのような祈りを込めた晩年の民話を、子どもたちが心にとめてほしいものと願った合宿でした。
 卒園した子どもたちが互いに、卒園した後も友だちとしてつながってほしい。またその友情が互いの心を強くしてくれることを祈りたい、と思ったのでした。

北海道にて

2019年8月1日発行「おたより」第517号より

 毎年、学園の人たちと北海道で合宿をしています。最近は北海道も梅雨のような天気が多くなり、寒くて海に入ることが出来ません。それでも毎日、美しい夕日を見ながらの散歩は欠かせません。風や多少の雨でも、夕暮れの海辺に出て少し歩いたり、ゆっくり日没まで夕日を見ていたりします。刻々と変化する空の色、夕日に包まれながら過ごす、すばらしいひとときです。
 私たちのいる望来(もうらい)は、車で1時間ほどで札幌市内に行けるので、週末に畑仕事などを楽しむためのセカンドハウスとして利用する人のほか、町民は少なく、店も少ないのですが、それでも国道沿いにはとれたて野菜などを売っているところもあり、ゆでたトウモロコシも売っていました。
 昔は道端の屋台のようなところに「トウキビ売り」がいて、ゆでキビと焼きキビをどこでも売っていました。種類が違って、焼きキビには、細長くしょうゆをハケで塗りながら焼いていました。ゆでキビは、今より小ぶりで丸みを帯びていました。昔は夏の終わりの風物詩ともいえる光景でしたが、驚いたのは、今はスーパーや畑でとれた野菜を自宅前で売っているような売店まで、とうもろこしを茹でて「ゆできびあります」の紙が貼られていることでした。
「とうきびは、とれたてゆでたてじゃないとうまくない」と子どもの頃から代々言われて育った私には、どうも納得いきません。畑からもいで、切り口から流れ出る白い汁もろとも、皮をむきながら沸騰している鍋に入れて、サッとザルにとった熱々のものでなければ、おいしいはずがないのです。
 ちなみにヒゲは干してお茶に(腎臓の薬ともいわれた)、食べ終えた芯もたまに荷運びなどで来ている馬にやるほかは、干してストーブの炊きものでした。むいた皮はいろいろな物を作って遊びました。覚えているのは、クレープ紙のような皮で「フランス人形」と称し、姉とお人形を作ったことです。
 8月のお盆の頃に赤くなるほおずきの実は、皮を破らぬように中身を食べてから、口の中で鳴らして遊びました。辛抱強く皮を破らないように中身を食べた後、舌と上あごで押さえていい音が出せた時、また、その音を競った楽しさを覚えています。その時に使う舌や口の中のさまざまな動きが、発音や食べ物の飲み込みなどの力を育て、鍛えたと思うのです。
 また、海の汚染で今、問題になっているストローも、昔のように自然な物が使えないか、麦わらなどの使用ができないものでしょうか。使い捨ての生活から、自然の恵みに気づく知恵が、今こそ必要であり、豊かな生活への唯一の方法かもしれない、と思うこの頃です。

幸せな顔をした牛たち

2019年7月1日発行「おたより」第516号より

 幼い頃、暑い夏の陽ざかりから帰るとすぐ台所へ向かって、漬け物樽から取り出して食べたナスの漬け物は、まさしく夏の味でした。庭で採れたナスを塩で漬けただけのものですが、夏一番に思い出す味です。トマトの皮をむいてハチミツをかけたものも、夏のおやつでした。また、トマトはバターで焼いておかずにしました。
 わが家では、よくバターを食べました。熱いごはんに乗せたバターごはん、ゆでたイモやかぼちゃにバターを乗せて食べるのも定番でした。それだけあの頃のバターがおいしかったこと、また、採れたての野菜の味がおいしかったというのもあったのでしょう。バターも今のものより香りがよかったような気がします。
 10年ほど前、北海道の山の中をドライブ中に偶然、小さな牧場で作っている発酵バターを食べ、すっかりファンになりました。家族でやっているファームらしく、牛も幸せそうに放牧されていました。ところが、数年前からこの牧場は有名になったようで、今では牛も放牧されず、牛舎の中です。おしゃれに改装されたお店には、観光バスが来るようになりました。このアイスクリームやバターの味が変わっていくのも時間の問題かもしれないなどと心配しています。
 美しい牧場でのびのびと過ごす牛たちは、見ている私たちでさえも幸せに感じます。その牛が出すミルクだって、薄暗い牛舎でほとんどを過ごし、ただ搾乳されるだけのものとは違ってくるに違いありません。
 夏の旅行で山の中をドライブしてみると、案外、幸せな顔をした牛たちと、おいしいアイスやバターに出会えるかもしれませんよ。この夏、ぜひ家族で楽しい夏の思い出をつくってください。

近ごろの事件をめぐって

2019年6月3日発行「おたより」第515号より

 子どもを巻き込んだ痛ましい事件が続いています。小学生を巻き込んだ道連れ自殺ともみられるような事件が起こって、社会に大きなショックを与えました。重度障害者施設での元職員による障害者への殺りく事件なども、まだ記憶に新しいのに…。
 今回の川崎市の件で、多様な立場の方がさまざまに論じていたものの、私はこれらの事件が1日中くり返し放映されることが、日常的にTVのシャワーを浴びているであろう子どもたちに、どのように映っているのかが気がかりです。同時に、くり返し起こるこれらの事件の背景について、いろいろ考えずにはいられないのです。
 当然ながら、事件を起こした犯人は若い人ばかりでないけれど、いわゆる戦後生まれの人です。日本人のさまざまな価値観(特に家族の在り方)が大きく変化したこと、長い戦争を経て価値観の混乱が続き、「経済大国」を目指して走り続けてきた時代を生きて来た世代ともいえるでしょう。
 今回の事件でそのようなことを考えていたら、戦後の混乱期にイタリアでは、ローマ市長が復興のためにまず教育を考え、ムッソリーニに迫害されてインドに亡命していたマリア・モンテッソーリを呼びよせたことに思い至りました。市内にあふれている浮浪者、戦争で家族を失ったり、戦いの中で精神的にも混乱している子どもたちの為に、まず教育を…と考えたのです。国の復興は何よりもまず「教育」からと考えた、ローマ市長の英断を思うのです。
 そして、モンテッソーリはそこで、どういう教育をしたか。混乱から秩序へ、それは環境を整えることであり、自然の中の秩序を知ることでもあります。幼児の集中力、生命への畏敬の念を抱く感性、またその理解者である大人の存在も必要です。
 モンテッソーリ教育は、学校の勉強でよい点がとれるといった早期教育などではなく、教具教材を使った「学習法」でもなく、カトリックの信仰に基づいた「秩序の教育」ともいえるものだと思います。浮浪児たちは、おだやかで丁寧な大人と接し、きちんと整理された環境で混乱から自分を取り戻します。子どものための家では、食事や睡眠の時間は規則正しく、いろいろな物の置き場所などが整理され、常に一定していることが大切とされました。特に幼い子にとってはとくに大切なことだと思います。
 一日中さまざまな出来事が情報として居間に飛び込んでくる日々が現実とそれ以外のこととして、まだ十分に区別ができない幼い人にどんな影響を与えるでしょうか。幼い人がゆったりと安定した時間を与えられること、自然のさまざまな出来事やいろいろな人との関わりを通して豊かな体験をすることが、子どもにとって本当に大切な力になることを、改めて思わされる今日この頃です。

大くま星座

2019年5月8日発行「おたより」第514号より

 北の夜空にひときわ目立つ大きな星座、大くま座があります。北斗七星を探していくと、すぐ見つかります。私の子ども時代の札幌は夜もそれほど明るくなく、星がとても美しく見えました。クリスマスの晩、羊飼いたちが夜通し羊の番をしていた冬の夜には、降るようなたくさんの星を見て、はるか彼方からの希望の訪れを星空に見たのもうなずけるような気がします。
 無謀な戦争が終わってまだ日本が混乱していた頃、私は3歳前後でした。かまぼこ兵舎と呼ばれていた建物に子ども向けの本があって(もちろん色刷りではなく、紙もザラザラしたものですが…)、借りられたのでしょう、姉と一緒に夢中になって読んだ(読んでもらった)記憶があります。もしかしてその中にも、ギリシャローマ神話、星座の話があったのかもしれません。東京に来てからも夕方に、流れ星を見かけることもあって、星の物語に自然にひかれていたのか、と思います。
 星の物語も、国や種族よっていろいろで、それぞれに興味があるのですが、以前、北斗七星をひしゃく星として描かれている物語を思い出したのは、トルストイの短編集に「大くま星座」というのを見つけたときでした。私の蔵書としては古い本で、何度も読んでいたはずなのですが、なぜ今まで心にひっかかって来なかったのでしょうか。ロシアの民話というのではなく、「ひしゃく星」という似たような内容の話を読んだことがあったのて、それと混同したのかもしれない、とも思いました。
 久しぶりに夜空を見上げると、春の夜空にも見える北斗七星が、「私はここにいますよ」というように輝いていました。今年はこの『大くま星座』というロシアの民話をクリスマスのシルエット劇にしてみよう、と思いました。
 北斗七星はどの季節でもとても見つけやすいので、子どもたちと見ていただければいいな、と思っています。

美しい桜の中で

2019年4月15日発行「おたより」第513号より

 今年は急に暖かくなったかと思ったら、すぐ寒い日が続いたりしているせいでしょうか、桜の花持ちがよく、保育園の桜も園庭を華やかにしてくれています。先日、今年も小学校を卒業した子、入学した子たちが御両親と卒業式の後や入学式の後に、晴れ姿を見せに来てくれました。つい先日卒園したばかりなのに、急にランドセル姿ですっかり大人びた雰囲気になっていて、いつも感動します。今年一番乗りでやって来たのはS家の元気な次男坊で、彼のうしろにやはり卒園児だった母が素敵なスーツ姿で立っていました。彼女の園児時代の姿がだぶって何だかジーンとしてきました。バーバの心境とでもいうのでしょうか……。
 幸せなこのひとときを思い出していた翌日にラジオで、親からの虐待などで入院中の子どもが、傷が治っても養育するところがなくて退院できないというニュースを報じていました。いろいろな事情があって心身に傷を負わせることになった子どもたち。その子たちの帰る場所がないというのです。成長を祝ってもらう家族がいる子どもたちの陰に、このような子どもを生み出している現代について考えざるをえませんでした。
 私はふと、昔、児童養護施設の園長をしていた恩師、故・大谷先生ご夫妻のことを思い出しました。私が勉強していた「保母養成所」は、この施設と同じ敷地内に児童養護施設がありました。施設の先生方の声も、子どもたちの声なども身近に感じるようなところが養成校だったのです。
 この施設の孤児の中には、当時「あいのこ」と呼ばれていた黒人兵との間の子どももおり、先生はいろいろと心をくだいておられました。社会制度が少しずつ整うにつれて、かえって一人一人の事情や個人の苦しみに寄り添うことが出来ないケースも多く、大谷先生は自分たちの施設にソーシャルワーカーを置いて、児童相談所のワーカーとは別に、子どもに寄り添った「措置」の在り方が出来るように努力をされていた、と聞いたことがあります。大人が作った制度の中で、かえって子どもの人権を守れないというのもあったということでしょう。児童福祉の様々な制度が作られていった私の学生時代のことを、ぼんやりと思い出していました。
 朝ドラを観ていたら、戦争で孤児になった主人公が他人の家に引き取られ、そこでの生活が安定したとき、友だちになった子の家が開拓に失敗して、土地を捨てなければならないことを「誰が助けてくれるの!」と全身で怒る場面がありました。土地を捨てて本州に戻る家族が、子どもが何と言っても無理なものは無理だというのに、開拓者として今は成功しているおじいさんが、この土地に勝って農業を続けたいという子を前にして、子どもの事情だからと無視していいのか! 大人たちはこの子たちに一体何をしてきたのか、と問いかけるのです。
 そして、せめてこの子の事情を、今こそきちんと大人が聞いてやるべきだろう、というセリフにうなずきました。そして、主人公の幼い女の子は、そんなおじいさんと一緒にいることが「何となく誇らしい」と思うのです。子どものわがままに振り回されたり、大人と子どもの関係がどうあるべきかが問われるような現代、心にしみる場面でした。
 5月は子どもの権利、幸せを考える時、子どもの日の意味をじっくり思いめぐらしたいものです。

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