早川寿美子 園長便り

寄り添う人

2017年10月2日発行「おたより」第495号より

 しおん保育園の理事長 大谷リツ子先生が亡くなって十日以上過ぎたけれど、未だに電話をかければ、穏やかで柔らかなお声が聞こえてくるような気がしている。
 先日も本村小の運動会に行ったら、元気なしおんの卒園児たちの笑顔がはじけていた。ふと、「かわいいわね、みんな立派ね」という声が聞こえたような気がして、思わず周りを見回してしまった。リツ子先生がお宅でもよくしおんの園児のことを嬉しそうに話されていたと、お嬢さんから伺ったからだろうか…。
 リツ子先生との出会いは50年以上も前、私がまだ保母学校の学生だった頃にさかのぼる。特に戦争の後、心と身体に傷を受けた子どもたちのための施設、保母の養成を念願していること、同じ敷地内に養護施設を持ち、先駆的な活動や研究を行っている学校があることを知って入学した。玉川保母専門学院という学校である。先生方はその困難な時代、子どもたちのために働き、子どもの人権を守ろうと静かな戦いをして来られた方々が多く、今になって思うと、何と贅沢な学びをさせていただいたのかと思う。本当に素晴らしい先生方に恵まれた、学生時代であった。
 母校の学院長 中島先生に勧められて保育園を立ち上げることになった時、「あなたは女性だから女性の助けが必要だ。何でも相談できる人はいないか」とおっしゃられ、ふとリツ子先生のお顔が浮かんだのである。先生が2番目のお子さんの出産後、期間限定で希望者に英語を教えてくださるというので参加した。半年の間、参加者は5、6人だけという、姉のような先生との楽しい会だった。その会も終わりに近づき、最後に先生から、幼い頃の思い出を英語で書くように言われた時、私は幼い頃の大切な一コマを思い出した。
 それは、我が家の隣にあった手押しの消防車の保管庫でのことである。ある日、戸が少しだけ開いていて、私はその小屋に、こっそり入ってみた。真っ暗な中、上の方から光が少し差し込んでいて、ガラス片のようなものが、暗い部屋の隅でがキラキラ輝いていた。息を殺して見つめ、本当に美しいと思ったこと。その出来事を今まで何故か誰にも話さず、秘密の思い出として先生に聞いてもらいたかった。先生から答案を返していただくとき、赤ペンでたくさんの綴りの添削とともに、「とってもきれいな思い出ですね。ありがとう」というようなことが綴られていた。幼い子が小石の一粒を、ずっと握りしめていることがある。それをそっと開いて、大事な人に見せる時の気持ち。私にとって先生は、そんな人だったのかもしれない。
 私の所属する教会と、母校の先生方の後押しで始まった社会福祉法人設立の当初から、その準備期間も含めてリツ子先生は46年間この保育園に寄り添ってくださった。どんなに困難な時も話を聞いてくださり、決まって先生は「早川さんのお考えでいいと私は思いますよ」とおっしゃってくださった。そして決まっていつも最後には「お大事に」とおっしゃった。
 昔、聖書の中の「愛」という言葉を日本語に訳す時「お大切さま」としたこともあったと、何かで読んだ覚えがある。先生を思う時、つくづく先生は「お大切さま」の人であったと思うのである。
 長い間、常に寄り添っていただいていたこと、「お大事にね」のお声が忘れられません。ありがとうございました。


北海道の夏 その2

2017年9月1日発行「おたより」第494号より

 毎年、夏の北海道で学園の成人の利用者と10日間合宿をしています。ボランティアを含めると10人を超える我々のことを、海辺の静かな別荘地である望来(もうらい)では、やはりいろいろな方が気にしてくださっているようで、皆を見送った後、よく声をかけられるようになりました。「今年は来るの遅かったけど、毎日雨ばかりだったから大変だったよ。皆さんは、いい天気が続くようになってから来られてよかったね」などと声をかけられたり、採れたての野菜を玄関の入口に置いてくださった方もいました。学園生が帰った時は、「淋しくなったね」と声をかけてもくださいました。この方々は、札幌市内からおもに土日に来ているリタイヤされた年齢の方々ですが、学園生と共にこの土地の夏の住民になったのだと思えました。
 また、今年は学園生が帰ってから、札幌で研修会があるからと友人が来て、数日間泊まって、一緒に市内の保育園へ見学に行きました。また、随分昔の卒園児のお母さんであるTさんが泊まって仕事を手伝ってくれたり、やはり昔の卒園児の家族が2晩泊って、高校3年になる長女Mちゃんの進路についていろいろ話をうかがうことがあったり、卒園してもこのような関わりを続けられるのはありがたいことでした。
 私が東京へ帰るのを迎えに来て、後片付けを手伝っていた孫が、私がクリスマスパズルの色つけをしているのを見て、「これ誰が切っているの?」と聞くので「栄ちゃん(学園生)しかこれだけ細かい作業ができないのよ。細かい糸ノコの作業ができる人を、早く養成しなければならないの」と話すと、いきなり「専門学校の人を採用してやってもらえば!」と言うのでびっくりしました。「栄ちゃんは3歳の頃から、荒尾先生が工作を一緒にしてたの。それが好きで、長い間続けてこられたの。だから、これだけ正確に細かな仕事もできるの」と言うと、「専門学校というのは、ちゃんとこういうことができるように訓練するところだから、専門学校を出た人に来てもらえば?」と、いつもはあまりしゃべらなくなってきている彼にしては珍しく力説するのです。不思議に思っていたら、合宿中に、スタッフの人に、大学と専門学校の違いについて聞いていたようで、彼なりにいろいろ考えていたのでしょうか。
 幼い頃から好きなことがあること、何かに集中することの大切さを説明するつもりでしたが、それはなかなか伝わらなかったようですが、栄ちゃんが彼らが幼い頃から保育園で一緒にいたことで、「特別な人」「障碍がある人」という感覚がないこと、私が年をとって歩くのがゆっくりになって不自由になったのを気づかってくれるように、彼なりに栄ちゃんの年齢が高くなっているのを思いやっているようでした。
 さまざまな人々と共に過ごすことの大切さが、互いに理解し合える「平和をつくり出す人」への近道ではないかと、改めて思ったひとこまでした。


夏の合宿にて

2017年8月1日発行「おたより」第493号より

 ラジオから、相模原の障碍者施設で起こった殺傷事件のことが流れている。あれから一年経ったのか…。
 昨年の夏、毎年行っている北海道での学園合宿中に、飛び込んできたこのニュースに大きなショックを覚えたことを思い出す。この事件を起こしたのはその施設の元職員で、彼は一年経った今も、重度の障碍者は生きる意味がない、と考えているという。
 私は、昔ナチスが重度の障碍者施設の人々を「価値がない人」として全員殺そうとした時、医師や看護師、研究者など、ナチス的に言えば「生きる価値がある人」が「彼らの前にまず我々を」と立ちはだかって守った、という話を思い出した。現代の「豊かな日本」に起きたこのおぞましい事件を、我々はどう受け止め、このことが何を意味するのかを真剣に考えなければならないと思う。
 学園生と共に過ごす合宿の中でまた、この事件について思いめぐらす時、「貧しい人は幸いです」という聖書の言葉について考えたいと思い、毎日の晩祷で皆に、聖書の言う貧しさと豊かさ、富んでいることについて、少しずつ話した。
 この青年は、子どもの時から優しく、この施設の人々とも交流があり、職員になったという。この「優しさ」は何を意味しているのか。障碍のある彼らと比べて、すべてにおいて豊かな我が身を偉いもののように思い、「かわいそうな」彼らを憐れみ、やがてさげすむようになったということはなかったろうか。
 私はこの青年のことを考え、ドエトエフスキーの『罪と罰』の主人公を思い出した。悪人である「金貸しの老婆」を「正義の元に殺した」はずのラスコーリニコフは、ありえないことに、罪の意識に悩み苦しむ。そして、無学で貧しい娘ソーニャに「大地に口づけし、許しを乞いなさい」と言われ、ラスコーリニコフは自らの罪を見つめ、新しい出発に向かう。
 今なお「生きる意味がない人」は消えるべき「命」だと思っているこの青年は、事故で首から下が動かなくなった星野富弘さんのこの詩をどう受け止めるだろうか。

 強いものが集まったよりも 弱いものが集まったほうが 真実に近いような気がする。
 しあわせが集まったよりも 不幸せが集まったほうが 愛に近いような気がする。


親子二代のピアノ発表会

2017年7月3日発行「おたより」第493号より

園長先生 

 この2つの言葉は、日本の幼児教育の基礎をつくられたともいえる倉橋惣三氏の言葉です。倉橋氏は東京女子師範で教鞭をとり、のちに付属幼稚園(お茶の水女子大学附属幼稚園)の園長として、近代的な幼児教育の実践をされました。この本はやはりお茶の水付属幼稚園の元園長であり、また愛育養護の園長もされていた津守真先生にいただいた本に紹介されていたものです。
 津守先生は我が園にもおいでいただき、いろいろ教えていただく機会も与えられました。特に先生の子どもへの生き生きしたまなざしと言うのでしょうか、実に楽しそうに一人一人の行動をご覧になっているご様子を忘れることができません。幼児のそばに居る者の姿勢を教えられたような気がします。私共の保育園には、担任の保育者だけでなく、講師の先生方も含めていろいろな大人がいます。いろいろな大人たちの温かなまなざしの中で子どもたちが育っていくことを願っているからです。
 ピアノ教室もそのひとつです。先日行われたしおんピアノ教室の発表会でうれしいことがありました。「私、ここでピアノを教えてきましたけれど、初めて親子二代教えることになったのですが、今日、そのK君が何とお父さまと連弾するんです!」と、M先生。つまり元園児だったTさんがM先生にピアノを習っていて、今は辞めたけれども今度は母となって我が子のK君をこの教室に入れ、最初の発表会はパパが一緒に弾いてくれるというのです。M先生のうれしそうなお顔に私も本当に嬉しくなりました。
 夏はご家庭でいろいろな楽しいこともあるでしょう。どうか子どもたちにたくさんのうれしいこと、楽しいことがありますように。

懐かしいおたより

2017年6月1日発行「おたより」第492号より

園長先生 
Yちゃんへ

 Yちゃんからこのメールをもらって、昔のアルバムを出してきて皆で見ました。本当に嬉しく、当時のことをいろいろ懐かしく思い出しました。ありがたいことです。Yちゃんたちの作った卒園製作は、チャペルの壁に取り付けてあったのですが、建て替えの時に外して、現在衝立として2階の子育てセンターで、今も使われています。
 次に送られてきた、彼女の息子さんの5歳の時の写真を見てびっくり。Yちゃんそっくりでした。そういえば、まったく別の卒園児の話ですが、第一子が我が園を卒園して、本村小学校に入学したときの写真をいただいて驚きました。何とお父さんの入学時の写真とそっくりだったのです。ためしに父親の写真の方を、新1年生の息子に「これ誰?」と見せたら、「オレだ!」と言ったのです。おばあちゃんが取っておいたネクタイとブレザーのせいでしょうか。本村小学校の看板の前で、何から何まで昔と同じだったからでしょうか。親子って本当によく似ていますね。
 うれしいメールでいろいろなことを楽しく思い出しました。Yちゃんありがとう。

花ことば

2017年5月8日発行「おたより」第491号より

 ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたか。よい天気に恵まれて花の名所に出かけた方も多かったようです。
 4~5月はあちこちから花の便りが聞かれていましたね。私がよく聴いている『ラジオ深夜便』の最後は「今日の花ことば」で閉じられます。このコーナーがいつ頃始まったのか分からないのですが、随分長く続いているようです。中学生の頃、『花ことば辞典』という本を持っていた記憶があり、友だちと、バラの花ことばは、赤は「愛」だけど、黄色は「ジェラシー」なんだ、などと言い合ったことを覚えています。ギリシャ神話などの由来や星座の物語まで広がっていく「花ことば」は、私にとってシンボリックな世界に興味を持った始まりだったのかもしれません。
 復讐などを意味するぼかしの花を贈ったりする時、現代はどのようにしているのかしらと、ふと思ったので、花に詳しい園の花担当の松本さんに聞いたら、花屋さんがお客様から花束の相談を受けた時、気を遣うのは母の日くらいらしいですよ、とのこと。一般的には、今は花ことばの意味など気にしない方が多いのでは、ということでした。花の意味や、それぞれ花の色で、まるで違う意味を持つ花ことばは、現代にはあまり馴染まないのでしょうか。花束を作る時や、同じ花でも三色スミレみたいに色が混じっている時、それぞれ意味を考えるのは難しいからなのか、などと考えながら、事務所の皆と花のことを話していました。三色スミレのことを話しているとき、「三色スミレ?」と不思議そうに聞かれたので、「パンジーのこと」と答えてからびっくりしたのです。いろいろな色の花びらが混ざっている花のことをなんて言うのかという問いかけだったのですが、そもそも「三色スミレ」という名が一般的ではなくなっていたのです。ミックスという言葉が一番多く、私としてはイメージの微妙な違いを思ったのでした。
 クレヨンの色も、桃色、肌色、だいだい、空色、水色、群青色など自然を映しているものが多いのですが、現代の会話の中では、ブルー、ピンク、ベージュが一般的で、私もそんなふうに使っていたのです。
 私の曾祖母はよく懐かしそうな眼差しをして、「朱鷺(とき)色」と言っていました。朱鷺がまだ大空を舞っていた頃の、福井の田舎の懐かしい色だったのかと思います。
 言葉の背景にある一人一人の想いの豊かさにつながるものとして、考えさせられた「花ことば」でした。

春の陽ざしの中で

2017年4月14日発行「おたより」第490号より

 毎年、小学校入学の日や卒業式の日は、我が園の先生方は朝から何となくソワソワしている。卒園児が数人、晴れ姿を見せに来てくれるからである。
 今年も中学卒業の子たちが7人そろって来てくれたことを、私はうれしくて卒園式の中で皆にお話しした。その後、高校入学の日にも、何人かが晴れ姿を見せに来てくれた。胸のコサージュがまぶしかった。男の子は心なしか凛々しくなり、女の子は幼児時代の面影が薄れて、外で会ったらわからないと思うほどきれいになり、すっかり女らしくなっている。「今春、〇〇大学に入りました」と報告してくれる子が夏まつりにはきっと数人来てくれるだろう。
 赤ちゃんの頃から共に育ったという仲間意識と、楽しい思い出がある懐かしい場所としてやって来てくれると思うと、本当にうれしいし、何となく誰が来てくれるかな、あの子はどんな進路に進もうとしているのかな、などと長くいる職員と楽しみにしている季節である。しおんという家族の中から巣立って行った子や孫が、元気な姿を見せてくれて、皆でお祝いをしているような気分である。
 7人そろって中学校の卒業式の日来てくれた子のうち2人が、同じ高校に進むことになって、「18年一緒にいるんだなぁ」と言っているのを聞いて本当にうれしく思った。彼らは赤ちゃんの頃からずっと一緒である。思春期の多感な時期を、仲間として友人として、いや兄弟に近い感情を持って成長していくのだろうと思うと、本当にありがたいことだと思う。
 神戸にパルモア病院という産科の病院があって、そこで誕生した子は「揺籃会(ようらんかい)」という会に入り連絡を取り合い、15歳(昔の元服)の時、病院に集まって、院長が産まれた時のことを一人一人に伝え、成人のお祝いをするという話を伺ったことがある。同じゆりかごで育まれ、今それぞれの道に進もうとしている時、それを祝福して成人式を行っている院長先生の考え方に共感し、感動したものである。
 今年も来てくれた子どもたちの姿をまぶしく思いながら、これからも共に育ち合っていくよい仲間として皆が自分らしく幸せに、希望にあふれて生きていってほしいと願っていた。
 春はやはり、いくつになっても心おどるよい時である。

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