早川寿美子 園長便り

しおんの園庭

2013年3月1日発行「おたより」第441号より

 この園で一番高いヒマラヤシーダ、これはクリスマスになると電飾されて団地の方々にも楽しみで…と言っていただいている木。その手前に通称ガリバー小屋、その手前に欅、そして池がある。
 ガリバー小屋は30年くらい前に数年かけて、荒尾先生と保育者も手伝って一緒に作ったもの。欅は園の建て替えのとき、大きな樹を移植するのはお金がかかりすぎてどうしようと心配していたところ、卒園児の皆様方から思いがけない大金が寄付として寄せられて移植が出来、ここでまた前のように子どもたちのために日陰を作り、枝に登らせてくれている。
 こんなことを思い出しているのは、今年の卒園児たちのために保護者の方のご紹介で専門家の方が来て、園庭、園舎、子どもたちの姿を撮ってくださっているから…。
 この日常の姿が大人になった子どもたちの目にどう甦るのだろうと考えている。
 どうか、楽しい温かなものであって欲しい、そんな思いで庭を眺めていると、この庭で起こったさまざまなことが次々思い出される。
 庭の木々も子どもたちの姿を見続けてきてくれている。30~40年にわたる年月はある意味長い年月には違いないが、木々の一生からみるとほんのひとときの出来事かもしれないのだ。
 先日の井ノ山園長の園葬には、30年以上前に初めて下里しおん保育園に就職した旧職員の何人かが来てくださった。式の後、昔の保育園時代の話をいろいろしていると、やはり築山やレンガ運びなどの土木工事を皆でやったこと、何でこんなことを保母がしなきゃいけないの!と思ったことなどを懐かしそうな顔をして話し、また、当時の子どもたちの動向などを今も心にとめ、関わりを持っていることなど話が尽きることはなかった。一人の旧職員の子どもが同行し、それらを聞いていた。彼女は大学生であり看護師の勉強をしているという。
 季節が変わるように一人ひとりの人生もいくつかの節目を経ることにより、新しい実りをもたらしてくれることを思っていた。
 井ノ山さんのご主人が式の間でも、そのあとでも何度か、家族も卒業しなければというような、卒業という言葉を口にされていたことが気になっていた。
長い間、教育にかかわってこられたお二人、「卒業」への思いは新たな出発も意味し、ある決意とともにいつも立ち戻ってくることが出来る場所としての現在をも意味しているのではないかとも思えた。
 三月は卒園のとき。子どもたちも、また、あるいは大人たちも新たな出発を迎えることも多いであろう。終息と再生を繰り返し生き物たちは豊かになっていく。
その姿を園庭の木々たちは見守ってきた。そして疲れた時は羽根を休めに立ち戻り、また、新たな出発に備えて欲しいと、この庭は願ってきたのだ。
 そのようなことを考えながら少しずつ芽が膨らんできた枝の目立つ庭を眺めている。


センス・オブ・ワンダー

2013年2月1日発行「おたより」第440号より

 『深い海に生まれた生き物が広い陸地に散っていった。そしてそこは遠い太古の昔には海があった所なのだ。(中略)常にかわりつづけるウナギの長い一生のなかで、湾の入口で待っている時間は、ほんのつかのまのできごとであった。それと同じように、地質学的時間のなかでは現在の海と海岸、そして山々のたたずまいはほんのひとときの待ち時間にすぎない。山はたえまなく水の浸食を受けて砂粒となって海に運ばれ、姿を消していくだろう。そして、いつの日かすべての海岸はふたたび水に浸り、いまは町とよばれているところも海に還っていくにちがいない。』(潮風の下で)
 『自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手に入れられるものなのです。』(センス・オブ・ワンダー)
 はじめの文章は、海洋学者レイチェル・カーソンの処女作の最後の部分であり、次は最後の作品となったものの最後の文章です。はじめの作品は、真珠湾攻撃の直前の出版のため、話題になることはなく、再販されたとき、ベストセラーになりました。
 今、ニュースで子どもたちが毎日のように見聞きしているおぞましいさまざまな出来事を考えるとき、レイチェルの祈りが聞こえるような気がしています。彼女の『沈黙の春』が世界に投げかけたものは大きく、始めは経済世界からの大変は圧力があったにも関わらず、21世紀は彼女を必要としたそれは、彼女の予言と共に方向をも示されているからなのです。
 レイチェルは敬虔なクリスチャンの家庭に生まれ、美しい自然に育まれて育ち、とくに母親からは人間も含めて、神によってつくられた全ての生き物は、互いに関わり合い自然に依存して生きている。生命の輝きの素晴らしさを教えられて育ったと言われています。この「生命への畏敬の念」は、生涯を通して彼女の生き方を貫いていました。
 犬養道子さんの講演集の中で、彼女がこのレイチェルの生き方に共感したことが書かれています。互いに関わり合い、愛し合うことによって人は生きられるということを難民キャンプでの活動を通して、私共に発信されているのです。
 「聖書」の初めの物語は、神は自然界の全てのものを作った。そして神は命ある生き物たちを見て喜びに満たされた。自分に似せて人を作り、人に海や空や陸の生き物たちを慈しみ、神の秩序の手伝いをさせようとされたと記されていることを、今、考えましょう。私たちはレイチェルの言葉を通して、このことを思い起こさねばならないと思うのです。お金やさまざまな欲望により、もっとも大切な「殺してはならない」という真実を失いかけている世界が神の秩序を取り戻すということをもう一度考えましょう。
 最後に、『レイチェル・カーソンは、地球の素晴らしさは生命の輝きにあると信じていた。地球はあらゆる生命が織りなすネットで覆われている。その地球の美しさを感ずるのも、探究するのも、守るのも、そして破壊するのも人間なのである。センス・オブ・ワンダーは、私たちへの彼女からの遺言であり、彼女は破壊と荒廃に突き進む現代にブレーキをかけ、自然との共存への道への希望を幼い者たちの感性に期待している』という翻訳者の上遠恵子さんの言葉を、幼児と共に生きる者として噛みしめたいと思います。

新しい年の雪

2013年1月15日発行「おたより」第439号より

 雪が降ると血が騒ぐというか、うれしくて、いつまでも雪の庭を見ていたりするのは、北国生まれゆえなのか。今朝も園庭を見ていると、雪景色の中にふっと小さなころの遊びを思い出していた。保育園では雪投げなどの遊びが多く、昔の遊びとは雪の量や質の違いもあって異なるけれども、雪景色に子どもはよく似合うと思った。
 雪の庭を見ていると、オスカー・ワイルドの『わがままな大男』という、大男と子どもの話を思い出した。それは、村人たちから怖がられている大男が留守の間に、庭に子どもたちが入って楽しく遊んでいるのを追い出したが、いつまでたっても庭に春が来ない。庭には花が咲かず、いつまでも北風が吹き荒れていた。そんなある日、大男はすばらしい音楽に驚いて目を覚ます。庭に目をやると鳥が来て、花が咲き、子どもたちが遊んでいる。その鳥の歌声がすばらしい音楽と思えたのだった。それで、春が来ないのは子どもたちがいなくなった庭にしたからだ、とさとった大男は、子どもたちに遊んでもよいと言いたくて庭に出たのだけれど逃げられて、あたりはまた冬の庭に戻ってしまった。がっかりした大男は、大きな木の下に小さな子が一人泣いているのを見つけ、かわいそうにと思い近づく。そして、彼を抱いて樹の枝にのせるのを見た子どもたちが安心して戻ってきたとき、庭にまた春が戻ってきた。
 そして、大男は子どもたちに囲まれて、幸せに過ごすが、年老いてくるにつれ、あの小さな男の子のことがしきりに思い出され、会いたいと願うが、誰もその子のことは知らないという。ある朝、その子が庭に現れたとき、その子の両の手足に傷を見つけ、その子が十字架につかれたイエスと気づいたというおはなしである。
 真っ白な雪景色の中、年長さんたちが長靴を履いて、アヒルのジマイマにごはんをやりに来ている。雪の中にしゃがんでいる姿がほほえましく、見とれてしまっていた。
 子どもたちのためによい年でありますよう、祈りながら雪の庭をながめていた。

クリスマスを迎える

2012年12月3日発行「おたより」第438号より

 急に寒くなったせいか、園長室から見える庭の紅葉は特に美しい。緑の葉が黄色になり、少しずつ朱がふりかかって見事な赤色に染まっていく様子を見ていると、自然の神秘な力に圧倒される思いがする。一番先に紅葉したもみじはすべて葉が落ちてしまったと思ったら、枝の先に2枚だけ、真っ赤な葉が残っていた。それを見て、オー・ヘンリーの小説『最後の一葉』を思い出した。
芸術家が集まる古いアパートに暮らす若い女友だち、画家のジョアンナとスーの二人は、助け合いながら仲良く暮らしていたが、ジョアンナは重い病気になり、医師から「彼女は生きる気力を失っているので、このままでは助かる希望は少ない」とスーは告げられる。ジョアンナはベッドの窓から見える壁を覆っている蔦の葉を見て、「あの葉がすべて落ちたら自分も死ぬのだ」とスーに言い始める。階下に住む老画家は、いつか傑作を書くと言いながら、酒におぼれる生活をしていたが、その話を聞いてしまう。そしてある嵐の夜、奇跡が起こる。嵐が吹き荒れ、朝になったとき、蔦の葉は最後の一枚を残し、全部散ってしまう。その次の夜にも激しい風雨となるが、最後の一枚となった葉が壁にとどまっているのを見て、ジョアンナは生きる気力を取り戻す。しかし、老画家は肺炎となり亡くなった。スーは嵐の中、壁に書いた蔦の葉の絵こそが老画家の傑作だったと悟るのだった。
 有名な小説なので、ご存知の方も多いと思うが、この話は、クリスマスの近づくこの季節、特に心に響く物語である。
 我が家に毎朝一番先に開ける小窓の側に、バラの花が今年も咲いている。あかね色のバラが朝の冷たい空気の中で露を含んで咲いているそばに、青紫のパンジーが新しく顔をのぞかせているのを見て、「愛と思索」という言葉が浮かんだ。バラの花言葉は「愛」。パンジーは「思索、想い、想いめぐらす」。
 愛という言葉はとても難しい。昔、日本にキリスト教を広めようとした宣教師たちの中には、聖書に当てはまる言葉として、「お大切さま」という言葉を当てはめたと聞いたことがある。神はこの世――私たちすべてを大切にされるゆえに最も大切な我が子をこの世に送ってくださった。こんな風にクリスマスの出来事を読むこともできるだろうか。
 大切なもの、大切な人、自分にとって大切にしていること、大切な今…。それらを思いめぐらせる、それが待降節、クリスマスを迎えるときでもあるのだと思う。

秋の遠足

2012年11月1日発行「おたより」第437号より

 昨日、すみれさんから年長さん、ゆり組さんまで一緒に、遠足に行って来ました。最近は都立公園でさまざまな野外活動ができるところに、徒歩やバスなどを利用して行っていました。家族で自転車で気軽に行けるような場所、あるいは、今まで車で行っていたポニー農園や南畑牧場へバスや電車を利用して行けたらなど、いろいろ検討しましたが、清瀬市のビオトープ公園と滝の城址公園になりました。近隣市なので年齢差や個人差がある子どもたちを、基本的には徒歩で行くけれど、市内バスや保育園の車数台でサポートが出来やすいという理由でそうしました。近いところでも、車を使ってしまいがちな今の子どもたちの生活環境を考えて、出来るだけ自然の道で歩く楽しさや、充実感、達成感を味わってもらいたいと考えたのです。
 遠足日和の中、11キロも歩いた年長さんは、まだ力が余っていると言わんばかりに元気でした。細い道を自転車を避けながら歩いたりもしながら、市内の生活道路を歩き、車なら見過ごしてしまう道沿いに、たくさん置かれている彫刻などを楽しみました。また、柳瀬川の堤防を歩く道すがらでは、普段目にしないようなさまざまな風景に出会って、子どもたちの目は輝いていました。
 昼ごろに、車で現地に行った私に、「園長先生どうやって来たの?」と子どもたちから言われ、ヒヤリとしながら「車で来たの。一緒に歩きたかったけど、皆の元気な顔を見たら、またお仕事に戻るのよ」と言い訳をしました。子どもたちは「いっぱい歩いたよ」「お弁当持って来たよ」「電車見たよ」など口々に言いながら、とても楽しそうで、達成感を充分に味わっているキラキラした目が印象的でした。
 私はそのときふと、90歳を過ぎて、生き生き仕事を続け、一人暮らしを楽しんでおられる吉沢久子氏の本を思い出していました。氏は、古い自宅を修理するときに、バリアフリーにしなかったと言います。いろいろ勧められたけれど、長年住み続けている家のどこに段差があるかなど、身体が覚えているというのです。日常のさまざまなことを注意し、気にしていること、甘やかさないことについて何度も書かれていて、ハッとしたものです。
 腕の力、手の力、足の力が弱くなって、つい誰かに頼んでしまうことが増えている自分に気付かされた思いでした。自分を甘やかせばどんどん甘くなり、身体も心も弱ってくるという氏の実感を、私も感じてはいたのですが、甘やかす口実はいくらもあるものです。人生を充分楽しむために、これではいけないと思ったばかりだったのです。いつも自分の足で立って、寄りかからず生きていくことが出来るように、自分を甘やかさず、身体と心とを働かせること、幼い子たちも同じことなのだと改めて感じたのです。
 秋です。子どもたちと一緒に何か始めてみませんか。

北海道での新しい出会い その2

2012年10月1日発行「おたより」第436号より

 先月に引き続き、また、新しい出会いがありました。
 毎年夏を過ごしている北海道の別荘地の中に、永住している家族が何軒かあります。ほとんどは定年退職した方々で、あまりおつきあいの機会はありませんでした。その中に1軒、3人の子育て中の家族がおられ、ここ数年、ゆり組の夏の合宿の時、ラジオ体操をご一緒させていただいていることから、親しくなっていました。ゆり組さんが帰ってからも、何となく言葉をかわすようになり、子どもたちのお母さんは埼玉から来られたこと、ご両親は共に音楽を勉強していたことなどがわかりました。お父さんは地元の住職さんで、親の後継ぎとして戻り、彼女は見知らぬ土地へ来ざるをえなくなったとのことでした。
 私たちが明日は東京に帰るという夜、望来荘で夕食をご一緒しようということになり、皆でジンギスカンを囲みました。その時彼女が、昔学生のころ、清瀬の幼稚園のクリスマスに演奏に行ったとき、すばらしいごちそうが出されて、まるで一流ホテルのディナーのようで、幼い子の会食にこれだけ手の込んだ食事を出す幼稚園があるんだと感心したことがあると言いだされたのです。そして、食事をいただいた場所は円形のホールで、段になっていたことも印象的だったと言うのです。多分それは、しおん保育園ではないかしらということになりました。彼女はそのときに出た、貝殻を利用したホタテのグラタンに感動して、それからよくお家でも作るそうです。ホタテの貝殻を使う料理もしおんの定番です。
 20年近く昔になる話で、彼女は当時「清瀬市市民オーケストラ」(通称 清楽)に頼まれて、ときどき手伝いに来ていたというのです。埼玉から来た彼女は、下里しおん保育園を清瀬市内の「幼稚園」とすっかり思い込んでいたけれど、ホタテのグラタンや「キチンとした晩餐会」、子どもだましではない食の在り方に共感し、自分が子どもを産んでからずっとそのことを大切にしてきたと言われました。
 当時「清楽」で活躍しており、現在は主婦業に徹している我園の元保育士Sに先日電話したところ、「小柄な身体でホルンをやっていた方よね。懐かしいわ」と、昔話に花が咲きました。
 そういえば昔は、運動会のファンファーレも「清楽」の方々が来て演奏してくれました。また、何かの行事にはよく彼等の姿がありました。Sが結婚して辞めたのと、しおんにはプロが多いのでアマチュアの自分たちは遠慮したい、というのが関わりがなくなった理由でした。
 今年の運動会のテーマは「つながり」。保育園に集う方々に、また新たなつながりの輪が深められ、広がりますように願っています。

北海道での新しい出会い

2012年9月3日発行「おたより」第435号より

 今年の夏は特に暑い気がします。保育園でもできるだけクーラーをかけない生活をしようと、多分、日本中が気をつけたはずで、外気温が少しは下がるかと思っていましたが、大変な暑さでしたね。北海道の石狩市、望来というところに毎夏学園さんと行っているのですが、地元の子は、朝夕、毛布が必要なほどなので「熱中症」という暑さで死ぬこともあるというのが理解できないようでした。帰ってきてすぐの南畑の合宿は、砂地に照りつける熱気にクラクラしましたが、川から吹いてくる風が特に朝夕は心地良く、広々とした土地と空が北海道に似ていて、良い気分でした。
 北海道で、また、うれしい出会いがありました。昨年の夏のおたよりで斉藤牧場のことを書きました。卒園児のS子が、旭川の牧場にボランティアに行っているので、今年は望来の合宿のお手伝いに行けないという電話があり、その牧場が20年くらい前に私自身が何年間か関わったことがある牧場だったのです。そのいきさつも20年ほど前の「おたより」と昨年8月の「おたより」に書いたのですが、今年はS子から今年も(昨年結婚して身重なのに)ボランティアに来ているけれど、斉藤さんの牛乳は良いものだけれど高いので、景気のせいか以前のように売れないで「ホクレン」に売っている、特別な牛乳なのに、ほかの配合飼料であまり運動もさせない牛たちと一緒にするのはもったいない、と電話がきました。「齋藤さんの牛乳」として旭川市内、札幌に出しているほか、横浜のグループにもグループ購入してもらっているとのこと。「斉藤さんの牛乳」は牛自身が厳しい山を歩いて自力で草を食べ、健康な草と運動で昔ながらの生牛乳を提供してくれているのです。早速、旭川市郊外のカムイコタンに斉藤さんを約20年ぶりに訪ね、70歳を超えてもかくしゃくとした彼に会い、2代目をついでいる息子さんと話し合って、しおんで牛乳を買うことに決めて来ました。
 一便が届いたのは、歌芝居「ホッツェンプロッツ」の会食です。とてもとてもおいしいマッシュポテトになりました。フタを開けると昔ながらのクリームの粒がびっしりついていて、季節としては一番おいしい(草とタップリの太陽があるので)牛乳は舌にトロリとして、試飲した職員に歓声があがりました。
 斉藤さんの牧場では、ほかにも新たな出会いがありました。斉藤さんの生き方や牧場が気に入った「三原色画法」「キミ子方式」で有名な松本キミ子さんのアトリエが、斉藤さんの山の中にできて、同じ画家の息子さんが牧場を手伝っていたのです。
 アトリエで手作りのソフトクリームを頂きながら、絵を見ていろいろな話をして帰ってきました。夏の新しいうれしい出会いでした。皆さんはこの夏、どんな素敵なことがあったでしょう。

夏の北海道より 

2012年8月1日発行「おたより」第434号より

 また今年も、札幌トモエ幼稚園の夏合宿に参加しました。私がここと出会ったのは、20年以上も前のころでしょうか。木村園長の呼びかけで、「人間環境学会」という奇妙な名前にひかれて、来たのが始まりでした。
 幼いころ生まれ育った山鼻に近い藻岩山のふもとに、建ったばかりの園舎で、木村園長やスタッフの方々の熱くて真摯な話し合いを、今も覚えています。トモエは設立当初から、自然環境を重要なものと考え、子どもも大人も育ち合っていく場所として、親子が一緒に毎日、山の中にある幼稚園にやって来るのです。「森の保育」が、経済成長に伴って起きてきた子どもと環境の問題において、その重要性が注目されてきている現代、それよりずっと以前から、トモエはすでにこのような保育をしていたことになります。
 私もしおんの園舎の建て替えなどで忙しくなり、トモエとの関わりは暫くなくなりましたが、数年前からふとしたことで再訪したのが、この夏合宿への参加になったのです。卒園児の親子、在園児の家族が、それこそ日本中から集まって、一大テント村になっているのは壮観です。
 南畑牧場の5倍はあろうかという敷地に立っている100坪くらいの園舎は、高低差のついているワンルームと言ったらいいのでしょうか。どこからでも互いの様子がうかがえる空間です。子どもも大人も実に良く遊んでおり、ゆり組の人々がそこに入っても違和感がなく、小学生と混じってボール遊びをしている姿は生き生きと楽しそうでした。そのすぐ隣の大きなマットで寝ているゆり組の子もいて、朝から夜まで遊びは途切れることはありませんでした。
 ここではルールは大人から教えられるものではなく、子どもたちが自ら体験して学んでいくものなのです。大人たちも好きな時間に、それぞれ食事を作り、台所コーナーはまさに井戸端会議のような状態になっています。横になっていた樽角先生は、幼い子がアイスクリームを「食べる?」と言って、スプーンで口に運んで食べさせてくれたと言っていました。もしかして、足を骨折して固定している姿を見て、自分の豆腐アイスクリームを食べさせてあげたい、と思ったのかもしれません。園庭には沢があり、崖があり、草むらや林があり、虫や小動物がたくさん生息しています。危険なことも多い中、まさにその中で自らの命を育んできたからこそ身についた、優しさと言えるのでしょう。
 アオダイショウのまだそれほど大きくないのがいたので、「あらヘビがいる。まだ子どもかしらね」と言ったら、近くにいたお父さんの一人が飛んできて追いかけ回し、ようやく草むらに逃げ込んだヘビを獲り逃がしてしまい、「逃げ足が速いやつだ!」とつぶやきながら戻ってきた彼を見て、私は思わず笑ってしまいました。少年そのものの顔になっていたお父さん……。
 どこからでも、誰でも行ける町の中心に、大きな森をつくることを提唱している木村園長に、1800坪の土地をやっと買いましたと言ったら、73歳の彼は「国の施策として全国にそういう場所が必要だ、と言っているんだ。僕も、この近くで5000坪ぐらい売りに出されているんだが、何とかほしいと思っている。『求めよさらばあたえられん』だからね」と言いました。そして別れ際、「お互いに長生きしなきゃね。やらなけりゃならないことがあるんだから…」。
 数年前、大きな病気をされたという木村園長の健康を祈りつつ、トモエを後にした直後、車中に風がサーッと通り抜け、突然「風立ちぬ いざ生きめやも」という詩の一節が浮かんできました。若いころに読んだ堀辰雄の『風立ちぬ』の中にある詩の一節です。
 北海道はいつも懐かしく、また一陣の風と共に、背を押してくれる何かがあるような気がしました。

庭をつくること 

2012年7月2日発行「おたより」第433号より

 1週間、ドイツに行ってきました。環境教育、自然環境問題について先進国の現状を見学するというツアーがあり、しおん南畑牧場について保育園全体で取り組むために、何か得るものがあるような気がして、副園長の境、主任の高取と3人で行って来たのです。
 ツアーの主催は「日本生態系協会」という団体で、現在、学校、園庭ビオトープについてさまざまな取り組みをしている団体で、私も20年近く前、まだこの団体ができたばかりのころだったと思いますが、何度か環境教育について考え合うといった趣旨の勉強会に出かけたことがあります。裏の池づくりを考えていたころでもあり、ビオトープ(生物群集の生息空間を示す言葉。日本語に訳す場合は生物空間、生物生息空間とされ、語源はギリシア語からの造語[bio(命)+ topos(場所)])という考え方をもっと知りたいと思っていました。その後、直接あまり関わりはなくなっていたのですが、環境に関心があって、園庭にビオトープも作っておられる幼稚園や保育園の園長方や研究者の方々などとともに、主にミュンヘン市内や近郊の幼稚園(子ども園、保育園)を見せていただきました。州の教育研究所に於いて、幼児教育を含め教育改革が進んでいることなどを勉強する機会となり、とても大きな学びの時になりました。
 緯度が高い南ドイツは、夏には陽が出ている時間が長くて、いつまでも暗くならず、町全体がゆったりとしています。車で有名な企業があるにも関わらず、車の渋滞はなく、自転車が多くて、自転車の道路が整っており、昼から町の人々がのんびりとビールやコーヒーでおしゃべりしている姿が印象的でした。また、人が夜中まで町中にあふれ、大音量での音楽や騒音が少ないことにも驚きました。大都会とも言えるのに、まるで町全体が田舎のゆったりしたお祭りの庭のように見えたのです。北海道の風景にとても似ていたことも、ゆったりくつろげた原因かもしれませんが、何よりも素晴らしいと思ったのは、どこに行っても車道と歩道の間があることと、森がどこにもあり、グリーンベルトというのか、電車の線路の中にまで緑の草があり、まさに生態系に配慮した町づくりの取り組みがされていることを痛感しました。
 以前ドイツで暮らしたことのある数人の方から、ドイツ人は夕食後、家族で森に入って散歩を楽しむと聞いたことがあり、なかなか実感がわかなかったのですが、夜中まで働いている日本人や、車が我が物顔に走りまわり、人は道端を遠慮しながら歩いているような日本の道路を考えていたからだとわかりました。いつまでも陽が残っている穏やかな夕食後の散歩は、道路沿いにどこにでも森があるのですから、本当に誰にでもできる家庭の風景だったのです。
 いろいろな幼稚園に行きました。自然を生かした小道や、さまざまな高低差をつけて自然に配慮した庭には、自然の植物や虫たちと子どもたちが、生き生きと暮らしていました。子どもたちの中に紛れこむようにして遊んでいる高取先生は、実に楽しそうでした。私や境先生は、少々歩くのが辛いときもありましたが…。
 生態系の学者でもあるB先生が作られた園庭と、ご自分の家の庭を見せていただきましたが、大変面白く、結果として幼児の「感覚」を重視した庭づくりはしおんの庭づくりに通じるものであり、最後に一人ひとりこのツアーの感想を話したとき、高取先生が「森の保育や園庭での活動について、自分たちが今までして来た保育に、ここドイツでの取り組みに共通するものを感じた」という感想を言っていましたが、その通りだったと思います。ヨーロッパと違って、梅雨のある湿っぽい日本は、暑いときの戸外での活動は、蚊やブヨなどとの戦いになります。ここでのやり方がそのまま通じるわけもありませんが、子どもたちの活動の中心である園庭についての考え方は、私が今まで考えて来たもの、つまり高低差があり、日陰、日当たり、木漏れ日が楽しめたり、水辺があり、五感が充分に刺激されるさまざまなことがある…などが、どこの園庭にも感じられ、良い刺激を受けました。
 40年前、ペンペン草も生えなかった園庭が、今のようになりました。以前、卒園児が卒園してから初めて、住所をたよりにやってきたことがあります。彼は進路を決めかねて学校に行かなかったことがあったそうです。進む道を決めたとき、この園庭を見たいと思ったのだそうです。幼児期、1日中、自分はジャングルのような山の中で過ごしていたという思いがあったというのです。築山を歩きながら、長身の彼は何度も私に、「本当ですか! こんなに小さなところだったんですか」と聞きました。「木も当時のまま、子どもたちに踏みしだかれて、下草は少し様子が変わったかもしれないけれど」と言うと、彼はしゃがんでみたりしながら、「子どもって、大人と違ったものを見てるんですね」としみじみ言いました。
 南畑牧場も、園児たちと父母の方々と、職員と一緒にゆっくりつくっていきたいという思いを、さらに強くしながら帰ってきました。

牧場の遠足 

2012年6月1日発行「おたより」第432号より

 先日、バラ展にバラを見に出かけたのですが、あまりに人が多くて、人ごみに疲れてしまいました。それでも、バラのある庭のコーナーを楽しんだり、バラのジャムやシロップを試食したりして楽しみました。何度も我が家のバラでジャムを作ってみるのだけれど、色あせてしまい、この香りと色はどうしたら出るのかしらと感心しながら、庭のバラが散ってしまう前にまた、試してみなければと思ったりしました。
 保育園の庭もいろいろな表情のバラが次々に咲いて、本当に一時、忙しさ、慌ただしさを忘れさせてくれます。保育園の庭は、今はこうして美しく、緑にあふれていますが、40年近く前、開所したときは、ペンペン草も生えてこない荒地でした。小山を切り崩して造成したところですが、いろいろなものが長い間、違法投棄されていたという事情にもよるのでしょう。たくさんの方々の協力と自然そのものの力が、少しずつこの緑の園庭をつくってきました。アヒルの鳴き声が交じった緑の風が流れる園庭を見ながら、親子遠足で300人を超える方々と、南畑牧場の砂地の中で一緒に過ごしたことを思い出しています。
 陽射しが強く、春とも思えないほど暑くなり、陽射しを遮るものがない中、子どもたちがよく遊び、お父さんお母さんたちが本当に活躍してくださいました。何でもお金で買えるような錯覚をしてしまいがちな今だからこそ、時間や人とのつながり、自然の力、命の力強さを思いながら、お金で買えない体験としての南畑牧場作りを一緒にしていきたいと思いました。あの暑い中、車を降りてから田舎道を歩き、設備も充分でない不便さの中、赤ちゃん連れの方もいて大変だったことでしょう。さまざまな体験を子どもたちと一緒に楽しんでくださり、ありがとうございました。
 理事長の大谷先生が、先日の理事会で、車での保育園の送迎についてどこでも問題になっているけれど、しおんでは保育者の方々の協力が素晴らしいのですね、と言われました。4月号のおたよりを読まれて、そう思われたそうです。最近、あるお母さんから、保育園が経済的にも人的にも、負担があって大変でしょうと声をかけてくださったことがとてもありがたく、職員たちも元気をいただいたことをお話ししました。
 アヒルの鳴き声が耳ざわりだ、犬を何とかしろ、子どもの声がうるさいから公園には出るな、マラソンコースを変えろ、など、「雑音」に敏感な方が増えているような気がします。団地は音が平地より大きく聞こえ、気になるところのようですが、かかわりの薄さが、いらだちの原因となっているようにも思います。園児たちが、子ども時代をのびのび過ごし、周りの大人たちに見守ってもらい、叱ってもらったり、教えてもらったりしながら、人を信頼し、世界を信頼できるよう育てることは、大人の義務と思います。皆さんの協力を得て、互いに考え合って努力していきたいと思っています。
 牧場と共に、子どもたちが成長していくお手伝いを、父母の方々と一緒にできる幸せを思ったできごとでした。

オウムの森

2012年5月7日発行「おたより」第431号より

 今年の保護者会総会で、車の駐車をしないでの送迎をお願いしたところ、本当に大勢の方々にご協力いただいて、心から感謝しております。幼い方々を連れて自転車や、遠方の駐車場に車を停めての送迎は、本当に大変だと心苦しいのですが、歩きながら子どもといろいろな話をする機会となっている方もおられるようです。お子さんにとっても、大好きなお父さんやお母さんと一緒にいられる楽しい時間になっているようでほほえましく、そのような時としていただいていることに、頭が下がります。
 随分前のことですが、私の前をおばあちゃまと一緒に、一人の園児が歩いていました。それが、踊るように楽しげに歩いているのです。あまり楽しそうなので、私はしばらく見とれていましたが、足を速めて並んで歩きながら、「随分楽しそうね」と声をかけますと、その子は「ボクに弟が生まれたんだ」というのです。明るい陽ざしと花びらが散っていた春の日のできごとを、今も思い出します。その子も今年の春から、たしか大学生になったとか。3人きょうだいの優しくてたくましい、すてきなお兄ちゃんです。
 春と言えば、卒園児と3月に植えてきた南畑牧場の記念樹を見てきました。しっかり根付いてくれたようで、今月の親子遠足の時には、きっと生き生きとした緑の枝を伸ばして、元気な姿で迎えてくれるでしょう。子どもが緑の中で遊んでいる姿は、本当に美しく、園長室から樹々や花々の中で遊んでいる子どもたちを見ていると、幸せな気持ちになります。南畑牧場も緑の豊かな子どもたちの園にしなければ、といろいろ思いを巡らせています。美しいものを見たり聞いたりして感動すると、心が明るくなって、やっぱり生きているって何て素敵なんだろうと思えます。子どもたちにも、そんなふうに生きて行って欲しいなと思います。
 古いインドの昔話などがもとになっている仏教説話集「ジャータカ物語」の中に、『オウムの森』というお話があります。オウムの王様は、森に実がなる季節には「木の実は必要な分だけ食べよ」、また、実のならない季節は「木が枯れないよう、葉や芽を少しとって、後は川の水で我慢せよ」と教え、どんなつらいときでも、ほかの森へ移ろうとしなかった。それを見て帝釈天は、たいていの鳥は、食べ物がなくなるとほかの土地へ移っていくのに、わずかな食べ物に耐えて森にいつづけるのはなぜだろうと思い、森の木をことごとく枯らしてしまいました。さすがにほかへ移るだろうと思っていたのに、そこでオウムたちはそうしないで、枯れた木くずを食べ、川の水を飲んで耐えていた。不思議に思い、白鳥に姿を変えてオウムの王に会い、「白鳥でさえ冬には暖かい地方に渡っていく。君たちは森が枯れてしまったのに、どうして森を捨ててほかの土地に移らないのか」と聞くと、王は「この森に感謝しているからだ」と答え、自分たちはこの森の木々によって生きてきた。実や葉を食べ、枝に休み、木々と語り合いながら毎日を過ごして来た。大切な友であり恩人だ。その森が苦しんでいるのに、見捨てられるわけがないと言うのです。それを聞いた帝釈天は、森を元通りにしてやり、オウムたちの喜ぶ様子を見て、「生き物は皆このように生きて欲しいものだ」とつぶやいて、天界へ帰られたというお話です。
 木漏れ日の心地良さ、花の美しさ、草いきれの中で遊んだ楽しさの数々が、子どもたちにいつまでも生きる喜びと勇気を与えてくれることを思いめぐらしながら、南畑牧場の構想を思い描いています。ぜひご一緒に参加してください。

春の庭で

2012年4月16日発行「おたより」第430号より

 桜の花が散って、池の水面に花びらが揺れ、雪柳の白の花房の下には黄色い水仙が咲き、池のまわりには、まさに春がいっぱいという感じです。
 先日、何かで読んだのですが、春はなぜか黄色い花が多いという話がありました。私の幼いころの庭にも、一番先に咲くのは黄色い福寿草、次にクロッカスやヒヤシンスが、雪がまだ残っている地面から次々に咲きだすのを見るのは、ワクワクすることでした。園芸の宮田先生が、西洋種におされ気味の日本種のタンポポは、遠目にも色が違うんだよ、と言っていました。日本タンポポは黄色と言ってもなんとなく上品な黄色で、すぐ分かるというのです。私は黄色という色が好きではないのですが、雪がまだ残っているようなとき、真っ黒い土の中から、パッと明るい花を見つける、あの何とも言えない喜びを思い出したのです。
 ハテ、私はあのクロッカスの黄色や白や、ヒヤシンスの青紫を同じように好きだったのではないかしら。では、いつから黄色が嫌いになったのかしら、と思ったのです。いろいろな園芸品種が出て、色が鮮やかというのか、きつい色が多くなったころから、心の中まで温かくなるような春の光のような黄色が、ギラギラとした、私にとって何だか目を逸らしたくなるような黄色になっていたような気がします。これでもかと主張するような色が嫌で、自然と淡い紫や水色や白などの花に心惹かれるようになったのかもしれない、とも思うのです。
 祖母は、「朱鷺(とき)色」」という言葉を良く使いました。桃色、朱鷺色、桜色、茜色、やさしい色合いを好んで、布切れを色合わせして、お手玉を作ってくれた手元を思い出します。そういえば、卵色という言葉も使いました。貴重品だった卵の黄身の色が、当時は淡い黄色で美しかったのですが、今はエサの関係で赤がかっている「黄身」が多いような気がします。
 今年は南畑牧場やポニーの広場農園のほかにも、新しくポニーの広場のそばに「せせらぎ農園」もお借りして、畑仕事ができるようになりました。私は初めてジャガイモの芽の方向を確かめ、切り口に灰をまぶした種イモを、祖母に手渡されて畑に植えた時のことを今でも覚えています。ほんのり薄紫のかかった白いジャガイモの花や、十字型の大根の花の美しさ、大きな黄色のかぼちゃの花からこぼれる蜜を、ハチさんのように口をつけて飲んだことなど、思い出はつきません。それらはやさしい花の色や香り、味とともにふんわり、幸せな思い出として今も心を温めてくれているような気がします。
 これから出会う畑や森の生き物たちとともに、豊かな時を過ごせますよう、そしてその中で子どもたち一人ひとりの魂が養われますように祈りつつ、新しい春が始まりました。