早川寿美子 園長便り

卒園に寄せて

2014年3月3日発行「おたより」第453号より

  先日、卒園製作の指導で、卒園児と一緒に牧場へ行かれていた荒尾先生が「子どもたちの牧場での顔が違うんだよ」と言いました。牧場に着いた途端、年長さんの顔からもっと幼い顔になり、土手をかけ上り、広い牧場を駆け回り、ひとしきり夢中になって遊んでいたようです。全身で遊んでいる姿と、一人ひとりの生き生きした表情を思い浮かべてうれしくなりました。子ども本来の姿は、こうしてただひたすら遊んでいる姿なのです。何かに突進し、ぶつかり、つかみ、まるで全世界を相手に全身で立ち向かっているような、乳児時代からの幼い人のエネルギーに、子どもが遊ぶということのすごさに圧倒される思いを持たれた経験は、どなたにもあると思います。でも、彼らも狭い部屋や車が走る道路など、日常空間の狭さの中で生活するうち、少しずつ走り回らなくなり、手を使うことも少なくなり、おとなしくなっていくのだけれど、こうして自然の豊かな広い場所に出ると、また本来の生き生きした幼児の遊びができること、合宿でも感じることですが、子どもたちが川遊びや登山をしている時、本当に良い表情をし、喧嘩も少なくなります。子ども本来の姿、「子どもを生きること」ができる時間がそこにある気がします。
 卒園と同時に、子どもたちの空間は広がります。学校や仲間たちとの関わりが、心と身体を豊かにしてくれることを願わずにはいられません。子ども本来の生き生きした姿をそこなうものでないことを、願わずにはいられません。全身を使わず、まるで手足をもがれたような現代の若者たちの無気力さを感じる時、全身で活動する生活体験の大切さを思わずにはいられません。生活が豊かになった今、失ったことの多さを思います。手押しポンプで洗濯や泥付き野菜を洗って、家事をしていた時代、生活の多くの仕事を家族で分担せざるを得ない時代は子どもにも仕事があり、それゆえに、食事をこぼしたり、ものを粗末にすることは許されないということを実感できたのです。私の子ども時代は、ごはんをこぼすと、お百姓さんの苦労を考え、一粒たりとも粗末にしてはいけないと教えられました。同時に、何かにつけ賤しいマネはするな、と教えられました。お腹がすいても、ひとりじめするようなことは、人として、どんな幼い者でも、決してしてはいけないことだったのです。これらは、時代や国を超え、人間の人たる所以ともいうべきこととして教えられました。大切なものはお金で買えないもの、生活の中に見えるものとして労働があった時代は、同時に「賎しさ」を知る時代でもあったのです。
 卒園する年長さんが成長していく時代は、どんな時代になるでしょう。でもやはり私は賎しいマネはするなと言いたい。
 大切なものはお金ではなく、他者のために労苦を惜しまないこと、それを通して得た本当の生活や本当の豊かさを知ることができると思うのです。

チャペルコンサート

2014年2月3日発行「おたより」第452号より

 先日、梯剛之さんの演奏会がチャペルコンサートで行われました。下里しおん保育園のチャペルコンサートも次回で190回となり、さまざまなプレイヤーさんがすばらしい演奏をしてくださいました。梯さんのお父さまは、元N響のビオラ奏者で、しおんのチャペルコンサートでも、何回か演奏してくださったのですが、やはりとてもすばらしい演奏でした。でも、剛之さんはウィーンを拠点に海外での活動が中心のように思って遠慮していたのですが、出演をお引き受けいただけて感謝でした。彼がフランスのロン・ティボー国際コンクールで入賞したニュースを知ったのは偶然でした。いつものようにラジオをかけながら家事をしていたとき、とても美しいピアノが聴こえてきました。思わず仕事をやめて、その音に聴き入っていました。何と透明な音、こんな澄んだ美しい音は聴いたことがないほどだと思いました。それが、入選したときのニュースだったのです。
 彼はガンで目を失っていますが、保育園に入って来られるとすぐ、会場へ向かうまでの靴の置き場や、食堂や保育室の位置などを説明しながら会場のチャペルへ入り、会場内をゆっくりと回りながら音の広がりを感じているようでした。ピアノの練習が終わり、お茶をしているときに、ここの保育園は温かな感じがすると言われ、びっくりしました。突然、「ニワトリですか? 何か遠くで鳥が鳴いているようですが」と言われ、アヒルが1羽庭を歩きまわっていることを伝えましたが、木々や自然の多い庭と、木材で作れらた温かな環境の保育空間をイメージしてくださっているようでした。
 演奏後、海外で過ごしている彼らしく、いろいろな場所でのたくさんのエピソードを聞きました。本当におはなしの楽しい方で、時を忘れてしまうほどでした。そのとき、彼が目が「見えない人」だということに気がつき、考えてしまいました。私が彼の「見た」世界を「見える」ように感じているのです。午前中から来てくださり、初めての会場での演奏は本当にお疲れと思いましたが、すばらしい演奏のほかに、とても上質な会話の時は、本当に豊かで貴重な時間でした。「みる」と「きく」ことについて、考えさせられたことでもありました。彼が話された「風」のイメージが、一度も行ったことのない、その土地の風景までが目に浮かぶような話し方に、彼の持つイメージの豊かさに感動したのです。
 2月には毎年、原山先生から「からだと心」についてさまざまな学びの機会を持っているのですが、今年は2週続けて2回の研修を受けました。演出家の竹内氏のテキストを使って、ことばを身体化して届けるというレッスンでした。幼いころから出来事を「情報」として受け取ることの多い現代において、とても大切なレッスンだと思いました。資料の中に、『「ひらがな」で話す技術』(西任暁子著)の引用があり、少しご紹介しましょう。

 幼くして亡くした娘の一周忌にと、ディズニーランドを訪れたある夫婦は、お子様ランチをふたりぶん頼みました。でもお子様ランチは子どもだけが頼めるメニューです。スタッフは「申し訳ございません。こちらのメニューは……」と一度は断りますが、事情を話すと注文を受け付けてくれました。しばらくして運ばれてきたのは、注文したお子様ランチだけではありませんでした。亡くなった娘さんのぶんのお子様ランチと、子どもが座れる小さな椅子も一緒だったのです。
 「ああ、この話だ!」と思いながら、私は泣いていました。最初に生徒さんから聞いた時に一度涙したにもかかわらず、また泣いてしまったのです。その理由は、衛藤さんを見ていてわかりました。話している衛藤さんが、誰よりも感動しているのです。聞いている人を感動させてやろう、なんて思っていません。何回、何十回繰り返しても、衛藤さん自身の心が毎回動くから、聞いている人の心も動くのです。いくら「相手の心を動かしてやろう」「いい話をして感動させてやろう」と思って話しても、相手の心は動きません。裏にある「~してやろう」という気持ちも一緒に伝わってしまうからです。
 まず、あなた自身が心を揺さぶられてください。話し手自身の心がどうしようもなく動いてしまう時、聞いている人の心も動いて、感動が生まれるのです。

 梯さんは聴いてくださる方の息づかいまで感じられる、こういうホールも良いと言ってくださいました。園児がピアノのすぐそばまで来て座っていて、足でトントンしたり、ごそごそしたりしていたのですが、それも感じながら、大ホールでの演奏が多く、こういう機会はうれしい、と言ってくださったのです。良いホールだと言ってくださった梯さんに感謝します。


新しい年

2014年1月15日発行「おたより」第451号より

 毎年、クリスマスに法人全体で1日職員研修を行っています。今回は、以前この研修に講師として参加してくださった先生方を迎えて、再び子どもたちの現在について語り合うことにしました。小児歯科医、造形家、子どもの生活アドバイザー、研究者など、専門や肩書きはいろいろあるけれど、子どもと長年深く関わりを持って来た平均年齢70代後半という講師陣は、70歳代から80歳代と10歳以上も年齢差があっても互いの価値観に大きな差がなく、共感し合えることが多いのに、若い人々には一人ひとりの違いが大きかったように思いました。戦争や貧しい時代の環境や体験が人々の生活、生き方へ大きな影響を与えていることを深く考えさせられました。情報が多すぎてそれに振り回される悩みなども出され、この新しい情報時代に生きる子どもたちの問題に、保育者として、大人として、しっかり考えねばならないと思いました。
 15年ほど前に来てくださった上遠さんは、レイチェル・カーソンの研究者で、『センス・オブ・ワンダー』はのちに教育界に大きな影響を与えました。アメリカ人の学者として世界中に大変な影響を与えられたレイチェルが、当時受けた迫害と共に、現代がまさに直面しているような問題への予言、予見に改めて驚かされます。上遠さんと共に、再びレイチェルの言葉に耳を傾け、未来への希望のメッセージとして受け止めたいと思ったのでした。
 成人の日の前日、偶然、昔の卒園児のお母さんに会いました。少しの時間でしたが、懐かしくおしゃべりが弾みましたが、「先生、あの子たち明日成人式ですよ!」と言われ、「エッ」と思わず叫んでしまいました。なんと、私が思い出すその子たちの姿は、ぽっちゃりしたあどけない眼差し…、たしか夏まつりに来た小学生頃までの…、なのですから。あっという間に子どもが大きくなっていることを実感しました。
 また、別のお母さんから、しおんの卒園児が市の小学生のマラソンに何人も出たこと、互いに誘いあって走ってきたことなどを聞くと、卒園しても互いに交流があり、いろいろな場面で共に関わり合っていることにうれしく、心強く思いました。
 新しい年を迎え、この年がお一人おひとりにとって豊かな、神様に祝される年でありますように祈ります。

クリスマスによせて

2013年12月2日発行「おたより」第450号より

 先日、南畑牧場に必要な植物について、園芸講師の高浜さんと話しているとき、二人の子ども時代の話になった。北海道はほとんどの家に塀がないので、昔はどの家の庭に入ってもあまり叱られた記憶がない。かくれんぼをいているときに目の前の熟れているグズベリーなどよく食べた話を私がすると、高浜さんも柿の熟れたころをみんなよく知っていて、近所の子どもと採って食べた話しなどをした。今なら、そんなことをしたら警察を呼ばれてしまうのではないかという話になり、地域社会のつながりの弱さについての話題になった。
 植物もおそらく自然界の生き物は、皆共に生きるようにつくられて生きている。互いに関わり合って、助け合ってしか生きられないのが生き物だろう。自然そのままではない畑の作物だって、植え方や手入れの仕方で農薬もほとんどかけずに育つことができる、と高浜さんは言う。共生ということについて考えさせられた。
 昔、卒園児が登校時か下校時だったかに、傘をふりまわして校門前で大人のどなたかに当たったとかで、「傘で刺されそうになった」と警察を呼ぶ騒ぎになったというのを聞いたことがある。なぜ、それを見た大人も、それをされた大人も、まだ小学校低学年の子をしっかり叱ってくれなかったのだろう。また、学校もなぜそれをしなかったのだろう。未熟な子ども時代、年長者や仲間に、少々荒っぽいことも含めて教えられ、共に生きていくためのさまざまなルールを身につけていくときなのではないか。見て見ないふりや、ほかの法的な裁きのようなものに任せるのは、大人としての怠慢なのではないかと思ったものである。
 子どもを大声で叱って泣かせたら、しばらくしてパトカーが来て、何か変わったことがないかと聞かれたという話や、近所から通報があったと子育て支援センターの職員に訪問されたという話を聞くことも多くなった。近所づき合いが、私の子ども時代のようであれば、おせっかいなおばさんやじいさん、ばあさんたちがいて、「そんなにせんでも」とか、「私に免じて許してやってくれ」とか、いろいろ言って、そのうちに叱っているほうも頭が冷えて、大声を出すほどでもなかったかなど、思ったりして何となく収まるというようなことが、家族の中でも、近所づきあいの中でも、よくあったものである。
 何か社会全体が窮屈な時代になっているような気がする。
クリスマスが近づいて、子どもたちとイエスの誕生劇の練習をしている。イエスの誕生の時代もこうであったかもしれないと、ふと思う。その誕生は決して平和な幸せな時代ではなかったし、母マリアや父ヨセフにとって世間的には決して幸せな誕生とは言えない状況でもあった。それでも、否、それだからこそ、平和のしるしとしての誕生であったのだ、とも思う。貧しい羊飼いから、外国から来た星占いの人々までが誕生の物語には登場する。さまざまな人との交わりが、イエスの誕生を中心にして、新しく起こったのである。
 クリスマスの頃は、今まで日が落ちるのが早くて暗い夜の時間が長くなってきたのが、やがて夜より少しずつ夜明けが早くなり、昼の時間が長くなっていく頃である。
新しい年はぜひ明るい年、子どもの豊かな成長の年であることを祈る。

ハロウィンと香り

2013年11月1日発行「おたより」第449号より

 10月に入るといろいろなお店にかぼちゃの飾りがあふれて、さまざまな小物にもかぼちゃと黒猫があしらわれたり、お菓子屋にはいろいろなかぼちゃのケーキが陳列されたりして、ハロウィンのお祭りが少なくとも商業ベースでは定着していることを感じさせられました。私のふるさとの札幌では、お盆の前、8月7日の七夕の夜に提灯をもって、子どもたちが「ローソク出せ出せよ、出さなきゃかっちゃく(ひっかく)ぞ。おまけに食いつくぞ」と言いながら、家々を訪れてローソクとお菓子や果物をもらって歩くというお祭りがありました。大人になってハロウィンのことを知って、よく似ていると思ったのですが、札幌での「ローソク出せ」のお祭りはすっかりすたれてしまっているようです。
 ハロウィンはキリスト教の万聖節の前夜祭と、古代ケルト民族にとって1年の終わりである10月31日の夜の、死者の祭りと合わさったものと言われていますが、死者の霊が親族を訪れる夜であり、また、悪霊が悪さするのを防ぐため、たき火が不可欠なものとなっていたなど、ちょうど日本のお盆の迎え火や送り火など、ご先祖様の霊をお迎えすることと意味は違うけれど共通点が多いことから、北海道開拓のころ、外国人が多く来ていた札幌周辺にこのような「ローソク出せ」の行事が行われたのかもしれないとも考えます。
 昔、ご近所を練り歩き、大きな子が先頭にそれぞれ手作りのカンテラとか提灯を持って歩くと、どの家でもお菓子や 果物、ふかしたおイモなどを用意してくれて本当に楽しいものでした。大きい子が苦労しながら一人ひとりに公平にいただき物を全員に分けてくれたのも楽しい思い出です。
 近頃、ほとんどこのような行事が行われなくなったのは、やはり近所付き合い、地域のつながりの弱さがあるのかもしれません。お盆が過ぎると、冬ももう間近、大人たちは冬支度に忙しく、子どもたちも手伝います。ローソクの灯とその燃えるにおい、あちこちでいただいた蒸しパンやお団子のにおいが、「ローソク出せ」の思い出として蘇って来ます。また、そのあとの冬支度として、大根干しや薪(まき)、石炭の準備、冬を迎える布団やどてらの縫い直しなどのあわただしさが、それぞれのにおいと共に幸せな思い出として蘇ってくるのです。子どもも大人と一緒にそれぞれの仕事に参加をし、その空気を感じ取っていた時代は、本当に幸せな時代だったのだと思います。
 先日、加齢と共に嗅覚が鈍くなること、認知症の研究の中で、そのにおいの研究が新しい可能性として注目されていることをラジオで聞いて面白く思いました。お香やお薬なども香りの効果もあると思われるし、幼いころは庭から薬草をつんでは、煮たりもみ込んだりして使いましたが、香りの効用もあったかとも思いました。
 最近はハーブ人気が高いですが、何か昔の思い出のように身体の深いところで大切な働きをしているのかもしれません。

ヤギを迎えに

2013年10月1日発行「おたより」第448号より

 9月最後の日に、小ヤギをいただきに行きました。保育園でいただいている魚沼産こしひかりを完全無農薬で、また、ヤギのフンや雑草で作った堆肥で育てているKさんとOさんから、春に2頭の小ヤギ、すみれちゃんとうーちゃんをいただきました。もう1頭兄弟がいるから、取りに来るならくださるとのことで、新潟まで迎えに行ったのです。名前は「ぽっぽちゃん」。すみれちゃんより大きな身体で、お母さんのおっぱいにしゃぶりついている甘えっ子さんでした。
 同じ部落で古民家を修復して住み、農作業をしているKさんとOさんの2軒のお宅とも、東北の大地震に隠れて、あまりニュースにならなかったけれど、震度6強の地震に見舞われ、全・半壊などしたそうで、現在も何年かかるかわからないけれど、自分たちで修復しながら住まわれているとのこと。これからの雪の季節は、さぞ大変だろうと思いました。
 でも、あたりを走り回っているニワトリたちの何とも幸せそうな様子や、ほとんど食料は自給している確かな生活者たちの穏やかであたたかなお顔を見ていると、本当に居心地が良く、一緒に行った若い人たちもこういう生活はしたことがないけれど、何となく懐かしい気がするといっておりました。私にとっては幼いころの体験そのものであり、いろりの自在鉤や、チンチン沸いている鉄瓶のお湯でお茶をいただいた時代のことなどが、家族の顔と共に思い出されたのです。朝陽夕陽が身近に感じられ、また、星空が美しく、月の明りもさぞ明るく感じられるであろう日々の生活が、まさに生きている実感そのものに違いないと、しみじみ思ったことでした。
 風や近くの川の流れなど様々な自然の生活の音が身近になり、やがてますます響き渡るであろう虫の声が、秋の訪れを告げる…そのような自然と共にある生活の安定感、居心地の良さを思ったのです。「こんな生活が園長の理想なんですよね」と、同行した調理の樽角先生が言うと、すかさず「この部落、空いている家があるから来たら」とKさんOさんに言われました。
 本当にこんなところで、子どもたちと1カ月くらい過ごしたいと、つくづく思ったことでした。


2013年9月2日発行「おたより」第447号より

 北海道では毎日のように、スコールのような雨と雷、稲光と天気が急変するので、一寸の外出も戸を開けておけないくらいだったけれど、雨が止むとすぐ、爽やかな風がカラリとしたすがすがしい空気を運んでくれる。
 珍しく晴れた夜、満天の星たち、まるでプラネタリウムのようだと思い、知っている星座を探した。翌日の早朝、目覚めてすぐ海を見ると、忘れな草色の海から虹が立ち上がっているのが見えた。思わずため息が出るほどそれは美しく、海から立ち上り海に消えていく、文字どおり海上にかかった虹色の橋であった。赤色から紫色のグラデーションが神秘的にさえ思える美しさで、だんだん薄くなり消えて行くまで見入っていた。
まだ夜が明けきれておらず、静まりきっているこの早朝の出来事に、古代の人々が、その昔見た虹を想った。地上のものすべてを滅ぼすほどの神の怒りがもたらせた大雨の音を、神の言いつけを聞き入れて作ったはこぶねの中で、人々はどんな気持ちで聞いていたのか。そして、それが聞こえなくなり雷も遠くなり、やがて天が明るくなりはじめた光を受け入れた時、どんなに安堵したことだろう。そして、いつ果てるともしれない、先の見えない時を経て彼らが、大海原にかかった虹を神との平和の約束として受け取ったことを深く思わずにはいられなかった。
 子どもたちに、この虹を見せたいと思いつつ帰京した。


南畑牧場づくりへ向けて

2013年8月1日発行「おたより」第446号より

 毎年このところ、7月末に学園の子どもたちと北海道合宿に行っており、北海道の涼しい風の中で8月の「おたより」を書いていたのですが、今年は下里団地の夏まつりに学園・保育園ともに初参加をさせていただけることとなり、8月の蒸し暑さの中で、この原稿を書く羽目になってしまいました。
 しおんの夏まつりには、地域の方々の参加も多く、皆様のご協力で、本当に楽しく盛大に行うことができましたこと、まずお礼申し上げます。今年も退職した先生方や卒園生もたくさん来てくれて「なつかしい!」と、クッキーやドーナツも買ってくれる様子がうれしく、ドーナツは今までの最多売上で600個も売れたということでした。
 北海道合宿の際、札幌に就職していた卒園生のS子がよく来てくれていましたが、夏まつりに彼女が赤ちゃんを連れてやって来てくれました。結婚して埼玉に住んでいるとのこと、就職先の北大で知り合った彼も農学部出身で、二人とも南畑牧場に関心を持ってくれ、酪農家だった友人と一緒に手伝いに来ようか、などという話になり、うれしく思いました。こうして卒園した子たちが、保育園を支えてくれる側になっていってくれるのは、何とも心強くありがたいことです。
 5月に天に召された恩師の大谷先生が、生前、南畑牧場に強い関心を持ってくださっていたということで、理事長から献金をいただきました。子どもたちのための牧場づくりも、なかなか資金難で進みません。できればすべて大人たち手づくりの牧場を目指して来ましたが難しいようです。でも、子どもたちのためのワンダーランドづくりに共感してくださる方も増えてきています。
 80歳、90歳と高齢になってもすばらしい仕事をされている方々に、その秘密を聞くと、決まって「いくつになってもワクワクする感動する心を失わない」ということだそうです。また、各方面で活躍している多くの人々も同じようなことを言っておられ、特に幼少期から夢中になれるものがあって、ひたすら追い求めるアクティブな生活をあげているようです。それらの芽は、乳幼児期に最も強く、飽くなき探求心に表れています。
 大人は、危ない、うるさい、めんどうくさいなどとつい思って、その芽を摘んでしまいがちです。確かに現代社会は危なく、子どもの好奇心に応えるには危険すぎることも多いのです。子どもたちが生きる上で危ない目にあいながら、体験の幅を広げていく場が必要です。知的好奇心を育てる場、ワクワク感動する心を育てる場を子どもたちに与えなければなりません。それを育むものは自然環境の役割が大きいと多くの学者たちが言っており、私も実感しているのです。合宿中の子どもたちの目の輝きや、森や山で見せる遊びの豊かさで、子どもたち自身がそのことを主張しているのです。
 秋から子どもたちの牧場づくり、ご一緒に進めていきましょう。

花の日

2013年7月1日発行「おたより」第445号より

 プール開きをして水遊びができることを喜んでいた子どもたちも、どんよりした梅雨空を見上げて「プールダメなの!」とがっかりする日が多い。
 6月は花の日があって、梅雨に入ったばかりで例年大雨になることが多いのに、今年は持って来ていただいたカッパも必要ないくらいの天気で、皆、お花をお届けした時のことをうれしそうに話していた。「おばあちゃん喜んでいた」「讃美歌歌ったら手をたたいてくれた」「○○もらった」「写真とってもらった」。子どもたちはいつもお世話になっているお二人のお医者さんたち、獣医さんや警察、郵便局、消防署、市役所などの公的な場所が、自分たちを支えている身近な機関であることを知り、毎朝のマラソンで声をかけてくださる近所の方々や、いつも交流を持ってくださっているお年寄りの施設3カ所や、農地を貸してくださったり、作物を作ってくださっている方々への感謝をお花を通してお伝えできることを楽しんでいる。
 そして、開園以来毎年近くの小学校にも、おもに年長児がお花をお届けして、「来年からよろしく」のご挨拶を込めてうかがっていた。しかし今年は、残念ながら訪問することができなかった。クリスマスにも讃美歌を歌いに、ほぼ同じところを回っており、前年卒園した児の家にもうかがってクリスマスの喜びをお届けするキャロリングという行事を行っているが、学校からは「花の日」に来たとき讃美歌を歌われ、あれは宗教行事ではないかという議論が職員から出たので、讃美歌を歌わないなら来てもよいという。キャロリングに「普通」の歌を、と言われる学校の意図も理解できず、開園以来40年間続いてきた行事を一方的に打ち切られてしまい、今年の花の日もそうなるのかと思ったが、やはり讃美歌でなく普通の歌をと譲らない。何故なのか。40年続いているのに急に断られることに対して、書面にしてもらえないかと言ったが断られた。クリスマスに、きよしこの夜やジングルベルを歌ってはいけないのか、また、歌えば「宗教行事」を社会や学校あげてしたということになるのか。まったく理解できない。
 花の日は、神さまに守られ、また、いろいろな方々に守られ愛されて育っているということを感謝し、その心を周りの方々に花と歌を通してお伝えする行事である。「来てくれてありがとう」と涙をこぼしながら手を握ってくれたお年寄りの「つめたかった手」の感触や、皆様の笑顔のプレゼントが、子どもたちの心に愛のタネをまいてくれる行事だと思っている。
 昨年暮れにはじまった、最も近い小学校が、最も遠くなったことが何か不安で、この国のある種のきな臭さも感じ、犬養道子さんの書かれた「コモンセンス」についての話を思い出した。
 道子さんが4歳ぐらいの時、茶の間に駆け込んで、おでこがはれ上がるほど思い切り柱にぶつかって、悔しくて柱を蹴ったり叩いたりしたところ、母上が「みっちゃん、柱も痛かったね。走ってきたのはみっちゃんで柱じゃないでしょ。柱をいい子いい子して仲直りをしましょう」と言われた。彼女は、自分が痛い時は相手も痛いという、ごく普通のことを教えられた。それがコモンセンスだという。殺してはいけない、盗んではいけない、嘘をついてはいけないが3つの柱で、これを核にして十の教え、キリスト教では十戒があり、仏教では仏の教えに含まれているという。今、宗教対立のような形をとっているのは、イスラム教でもキリスト教でもなく、イデオロギーであり、宗教的なものは政治に一番利用しやすいし、それが宗教の持つ危うさだという。しかし本当の宗教は、コモンセンスに通じると断言されている。
 また、彼女は、戦後多くの小・中学校の教師たちの中に、「眼に見えない世界は存在しない。神だの仏だの道徳だの良心だのという価値観は無用」という「進捗的文化人」が増えたという。その一人に「人様に親切に」というような初歩的倫理も古いのか、「いつもほんと」という価値はあるでしょうにと言ったら彼は「そんなのは西洋人の考え方だよ」と言ったという。また、「良心? 良心にのっとる自由選択力? それはDNAのどの辺にある?」「顕微鏡をいくら見ても出てない人間はDNAだけ」これは分子生物の学者でノーベル化学賞を授けられた博士の言葉で、彼女はその人の著作中にこの言葉を見つけてびっくりしたという。良心や自由選択力を否定し、宗教、倫理、良心だのは邪魔者と決め込んでしまう「真理の人々」が教育界に出てくるにつれ、少年少女の信じがたい非人間的、衝動的犯罪の根っこの一部は作りだされたのではないか、という言葉に深く頷くものである。
 私自身、自分の家は禅宗であり、幼いころからお坊さんの話や仏教説話を聞いて育ったし、今でも仏教講話集から選んで子どもたちに話すことも多い。マザーテレサが、わずかの米を長い道のりを歩いて貧しいヒンズー教の人に届けた時、その人は飢えかかっている我が子の前で米を半分に分け、政治的に対立する遠くの集落にもっとひもじいたくさんの子を抱えている人がいるからと、その米を届けに歩いて出かけたという出来事があり、私はその話を子どもたちによくしている。
 変わらぬもの、目に見えぬものを大切にする思い、心ふるわせてかわいそうと思いやる心「センス」を大切にしたい。そのことこそ、人間らしく、人生に希望を持ってしっかり生きることにつながるのだと思う。

 最後に、彼女の言葉を深い共感を持ってご紹介したい。

 私の祖父の犬養毅は、陸軍と海軍の軍人によって殺されました。軍の指図で、卑しくも一国の総理大臣が官邸という公の場で殺されたにもかかわらず、新聞などの報道は翌日の夕刊から規制されました。そして一年後、「犬養は気の毒だったが、お国のためにと思った若い将校たちの純情と純真さを汲まなければならない」と、彼らは名前も伏せられたまま、驚くほど短い刑に処せられたのです。その時から「犬養」という名前が、私ども家族の重荷になりました。「陸軍の軍人に殺された」。のちには、「しかも、キリスト教だ」と、お米を売ってもらえないこともありました。
 事実とは関わりなく世の中の流れで、「あの親は悪いことをした。じゃあ、あの子だって…」となってしまうようなときに働くのも、やはりコモンセンスです。DNAがどんなに強くても、環境がどれほど影響しようと、一人ひとり異なるところに人間のすばらしさがあります。
(『こころの座標軸』犬養道子著/婦人之友社刊)

あじさいのとき

2013年6月3日発行「おたより」第444号より

 5月が終り、いよいよ6月。「五月晴れ」から一足早く「梅雨入り」が報じられ、憂うつになっていたのに、夏を思わせる5月より、過ごしやすい日々が続いています。それでもバラが盛りを過ぎて、アジサイがひときわ綺麗に咲きだしたのを見ると、その青紫色に梅雨も悪くないか、と思ったりします。
 先月、私どもの法人の理事長の夫君が、老衰のため亡くなりました。理事長夫妻はともに私の保母学校時代の恩師でもあり、日本の児童福祉事業を築きあげて来られた方でもあります。お二人とも、数々の国際会議で活躍し、大学の福祉学部で教えられ、また、福祉学部の立ち上げにも関わり、文字どおり戦後の児童福祉の歴史そのものと言っても過言ではないと思います。
 お忙しいお二人が、最後にともに過ごされた数日間のことをおっしゃられた「主人は何度も二人でいられるのは良いねと言ってくれました」という言葉に、お二人が今まで仕事上でも素晴らしいパートナーであられたことを思い感動しました。私が学生のころ、夫君であるよしはる先生が「諸君、相手を選ぶときは美しいから愛するという人ではなく、愛しているから君は美しいという人を選ぶべきだ」と言われた言葉を微笑ましく思い出しました。
 昨年5月に、ゆり組で働いてくださっているKさんの娘さんからの「母の日に何もできなくてごめんなさい」というお母さんあてのメールを見せていただきました。彼女はガンの末期でしたが、それは最後まで他の人への配慮や優しさ、感謝の言葉に満ちたものでした。ご両親がろうあ者で、キリスト教の信仰に生きておられる姿によると思い、私自身、教えられるものでした。
 彼女はやっとのことで赤ちゃんが授かったのを知った時、自身のガンを知ったのでした。赤ちゃんをあきらめるよう医師の勧めがあったけれど、妊娠の継続を願いました。彼女はそのことを「お腹の中での7カ月でしたが、自分を母にしてくれた我が子と神に感謝し幸せだった」と言ったのです。
 妊娠7カ月で死産した我が子と天国で会えることを信じた、彼女の笑顔が忘れられません。美しくけなげな生き方を通して、若くして旅立った娘のことを、その父は「娘は天国で神さまのところにいるので安心」と言いました。彼女の末期の苦しみを思うと、ホッとされてもいるのでしょう。
 日本が最も困難だったとき、戦争孤児たちに、まずお腹を満たすことに奔走して来られ、やがて、かつて日本が苦しみを強いた国の子どもたちへの働きをしてこられた先生方、静かな戦いを追えて、天に帰られたよしはる先生の御顔は、平安そのものであり、本当に輝いて見えました。
 死者は、この世の生を終えても、思い出す人の中で常に生きているということを実感するこの頃です。

ある町工場

2013年5月7日発行「おたより」第443号より

 先日、ラジオから、東北大震災で被災した会社社長の話が流れていました。
 有名なジーンズのメーカーだというその工場も、津波にあって機械や生地などが壊れたり流されてしまったりと大きな被害があったにも関わらず、建物は無事でした。そこで社長はすぐ、社員とともに工場を片付け、避難所として多くの被災者たちを受け入れたというのです。そして、工場の再開に向けて、それこそ昼夜を問わず働いて、周りがまだ混乱の最中に、再開にこぎつけることができました。それができたのは、社員が泥の中から見つけて来た生地でした。すべて流されたと思っていたときに、社員が「社長、生地がありましたよ!」と持って来てくれた生地に、みんなが力づけられ、再開に結びついたというのです。ジーンズは濁流に押し流され、あちこちに引っ掛かりぶつかったりしながらも、原型をとどめており、その姿に励まされたのだといいます。
 泥を洗って、早速作ったのは、大きな肩掛け用の袋でした。それは被災した人、特に女の人は自分たちの身の回りのもので人目にさらしたくないものもあり、いつもまとめて持ち運びが出来るようにと考えたというのです。女の社長ならではの心遣いが感じられました。気負わず、柔らかな口調で話される女性ならではの心遣いや発想、やさしさなどに、心からの拍手をおくりました。
 今後は、流されてもう使えなくなった網なども使ってみたい、多方面の仕事をつくること、多岐にわたった仕事を生み出すことを考えておられるのです。助かった工場でできること、できるだけ大勢の人々がそれぞれ今まで関わっていた仕事に近い仕事を作り出していくことに、今、彼女は心を向けているということでした。
 「ジーンズは人生と同じだと思う。始めはゴワゴワしてなじまないけれど、身に着けて何度も洗い、擦り減ったりしていくうちに味が出てきて、身体にもなじんでくる。破れれば、そのほころびを繕えばいい。つらいこと、苦しいことが人生の味を深めていく」というような彼女の言葉に、何度もうなずく思いでした。

あるコンサートの日

2013年4月15日発行「おたより」第442号より

 3月の中ごろ、福島で行われた震災支援のコンサートに行った。毎年しおんコンサートに出演して下さっているピアニストの三谷さんが震災のすぐあとから、もう何回も被災地の中学・高校も含めて福島でのコンサートを行っておられ、今回は日曜で何とか時間がとれそうだったので行くことにした。昨年、しおんにもご一緒に来てくださったビオラ奏者のエレナさんもいらしていたので、昨年のコンサートのお礼の気持ちもあったし、毎年献金させていただいているシュタイナー子ども園「そらまめ」も見せていただきたいと思ったからであった。
駅まで迎えに来てくださった「そらまめ」の代表者門間さんに案内されて、自分たちで除染を続けてこられた園舎を見せていただいた。園舎内とその周辺の線量の違いを、彼女が持っている測定器で測ったのを見て驚いた。とても住める基準ではないというが、周囲には普通に家々があり、生活が続けられているし、また、新築されている家すらある。彼女は通って来られる3人の子たちのために、除染が進まない周辺の状況と、もっと戸外での遊びをさせたいと考え、線量の少ない土地に園を移し、今は一軒の家で子どもの保育を続けているが、まったく先の見えない状況であるという。でも市内を車で回ってみて、線量の計器がそれこそニョキニョキたって、数字が温度計のように示されている。山々に囲まれてすり鉢状になっているこの土地は、雨や風向きによって線量も変化する。市内の7割が住居に適さない汚染地帯といわれているところに、学校や住居があり、駅周辺は日曜というので人通りが多く、にぎわっていた。
 門間さんと別れてコンサートが始まる前、隣の広場で警察音楽隊によるコンサートと、震災直後から現在までの写真展が開かれていたので、それを見ていた。まだ若い婦警さんの直後からの活動ぶりが写真から伝わってくるが、放射能の被害について思わせるものがあまり感じられなく、津波による破壊の酷さと被災した人々のけなげさと、警官たちの働き、世界中の人々からの励ましの様子が写し取られていた。しかし、死体を収容するために泥の中を動き回っている若い警官たちが、無防備な状況で活動している写真を見て、考えさせられてしまった。果たして大丈夫なのか、このようなことがあってよいのか、と思いながらたたずんでしまった。
 音楽隊の演奏に拍手しながらも、颯爽と演奏される「ウルトラマン」や「上を向いて歩こう」などの曲が、何かせつなく胸に迫ってきた。
 3月11日には、イベント化した集会などに背を向けて、市内を見渡せる山に登ってそこで大地をこんなに汚してしまった私たちを許してと自然に詫び、二度とこのようなことを起こさないよう祈るのだ、と言っていた門間さんの言葉を思い出しながら、福島を後にした。
 色とりどりでピカピカのランドセルを背負って、今年も新一年生が入学式のあと来てくれた。この子たちの笑顔が続きますように、未来が幸せなものでありますように、この子どもたちが自分らしくすくすくと生きられるような世界がくるよう祈りながら、4月を迎えた。