早川寿美子 園長便り

紫花菜の思い出

2015年3月2日発行「おたより」第465号より

 3月のカレンダーの誕生日の花の中に紫花菜(ムラサキハナナ)があった。この花は花大根と呼ばれることも多く、3~4月に道端に咲いている。野火止用水沿いにも群生しているところがあったりするが、この花の思い出を私は卒園式で話したり、この欄でも書いたこともある。それは、今は30歳近くもなっている卒園児のことである。
 小学校に入学したばかりのその子が、ある日、大声で私のことを呼び、発泡スチロールの箱いっぱいに土ごと植え込んだ紫花菜を持って来てくれたのである。汗びっしょりで、友だちに手伝ってもらって近くの原っぱから掘ってきたという。「園長先生が好きだと思ったから」という、汗まみれのキラキラしたその子の顔が忘れられない。卒園の頃になると「忘れな草」と共に「紫花菜」を今は年長さんたちが苗を作って、卒園式場を飾ってくれている。シャベルもなく、小さな手で泥だらけになって取ってきた幾株かの花、それを手伝ってくれた友だち(卒園児ではない)が新1年生の子どもにできたこと、今思い出しても胸が熱くなるのである。
 何かを共にすることの喜び、誰かに「喜んでもらえるかな」と思ってすることの喜び、幼かった子が人を想うことのできる「想像力」が増して、豊かな感性がますます豊かになっていけること、子どもの成長の力の素晴らしさを思う季節である。友だちができること、友たちと何か共にするから楽しい、苦しくてもチームで共に有る充実感と喜び…。成長はこのような喜びと共にある。
 卒園して小さな家族のような園からもう少し広い地域との関わりができる時、「友だち」は重要な存在になるであろう。ぶつかり合い、ケンカしたり、仲直りしたり、いろいろことを通して、仲間と共に「相手」の存在を理解し、大切にしていくことを学ぶことが大切だが、そのような友だちができることについて考えさせられている。
 今、児童といわれる年齢に、そのような関係がしっかりと豊かに育っていっているのだろうか。そのような時間や場面が子どもたちの中にどのようにしてできあがっているだろうか。テレビをつければ悲惨な出来事が日常の生活の中に絶え間なく入ってくる。戦闘場面のアニメや、耳や目を覆いたくなるような番組も多い中で信頼がどのような形で育っていくのだろうか、とふと考える。
 先日、偶然耳にした言葉、一人のパキスタン出身の医師が、自分の父が書いた詩について語られた話に感動した。シルクロードを通って他国から来た人が、その国の王にハサミを献上しようとした。これはとても切れ味が素晴らしく、仕事がはかどるだろうというのに、国王は、これは素晴らしいもので我々の生活にとても便利であろう。しかし、この切れ味は、ハサミとして使うだけでなく、あるいは武器ともなろう。我々はこういうものより、切れたものを縫い合わせる糸と針のほうが欲しいと言って帰らせた、という古い昔話を題にした詩についてであった。
 今、人と人が信頼を築き上げていくために、大人がしなければならないこと、それを語られたような気がした。
 この紫花菜を届けてくれた子のキラキラした瞳のように、今、卒園する子どもたちのキラキラした瞳が、絶望や諦めに変わることなく、いつまでも輝いて欲しいと切に思う。

緑の大地計画

2015年2月2日発行「おたより」第464号より

 1月のその日、私はあるチャリティーパーティに出ていました。しおん保育園もクリスマス献金している団体です。時間が過ぎても開会の挨拶がありません。そして遅れて現れた担当者が言われたのは「私どもの友人が、今拘束されているというニュースがありました。これ以上胸がいっぱいでご挨拶ができません」というものでした。紛争地での子どもたちの写真があちこちに掲示されている会場で、売上はヨルダンでのシリア難民支援のために使われるという会で知った日本人2人が拘束されたというニュースでした。
 私はその時、以前、この欄でもご紹介した中村哲氏の最近の発言について考えていました。医者としてパキスタンへ行った彼が、現地の貧困問題を解決すべく用水路作りに取り組み、飲み水や灌漑用井戸事業の活動を続けてこられていますが、最近雑誌に載せられた「戦争の実態を知らぬ指導者たちが、勇ましく吠え戦う準備をする日本。危機が身近に祖国が遠くになってきた」という一文を思い出したのです。
 彼は一貫してアフガニスタンに平和を取り戻すには何が本当に必要なのかを問いかけ、自らそのために活動しておられます。かつて食料自給率100%を誇った農村は、農地の乾燥化により、国民の3分の1が飢餓線上にあるという国において、医者として現地で活動していた彼らが、栄養不良で死んでいく子どもたちを救うための「緑の大地計画」を打ち出し、井戸作りを始めたのです。彼は以前から日本はアフガニスタン国内では民生支援に専念しているので、日本への信頼が現地の人々に生まれ、それこそが、そこで活動している自分たちの安全保障であると言っていたのです。そして「飢えた農民たちが職を求めて都市へ出るが、まともな仕事にはありつけない。平和であろうはずがない」とも言い、民族のふるさとを取り戻すために、地上に平和をもたらすための活動として「緑の大地計画」を始めたのではなかったかと考えていました。
 私はこの数日、テレビで中東問題研究者や有識者と言われる人々が話している番組をたくさん見ました。その中である人が、この地域は国や地方のつながり、部族血族のつながりが極めて強いものだった。神とのつながりも、それらと密接に関わる信仰であった。しかし、今起こっているテロ組織と言われている彼らの信仰は、神と1対1の関係になっていることを指摘したのです。共に生きる、愛という関わり合いの中での生を離れたとき…今日本でも起こっている無差別殺人のような事件の中にも、共通のものがあるのかもしれないというような発言にショックを受けました。
 農村を捨てて都市に住まなくてはならなかった時代の流れ、荒廃した地方、就職難民、老人の介護難民などの日本の問題について考えさせられたのです。
ふと30代で貧しさの中で亡くなったクリスチャン詩人「山村暮鳥」の詩を読みたくなりました。心に響いた詩を2編紹介します。

人間に興へる詩

そこに太い根がある
これをわすれてゐるからいけないのだ
腕のやうな枝をひつ裂き
葉つぱをふきちらし
頑丈な樹幹をへし曲げるやうな大風の時ですら
まつ暗な地べたの下で
ぐつと踏張つてゐる根があると思へば何でもないのだ
それでいいのだ
そこに此の壮麗がある
樹木をみろ
大木をみろ
このどつしりしたところはどうだ

落日の頃

蜻蛉(とんぼ)よ
機蟲(ばった)よ
おまへらもまたそこで
生きのいのちをくるしんでゐるのか
だがさうしてともどもに
ひかりかがやいてゐるのだ
それでいい
それでいい
それで此の世もうつくしいのだ
まあ、どうだい
このすばらしい落日(いりひ)は

緑の杖

2015年1月15日発行「おたより」第463号より

 あけましておめでとうございます。
 子どもたちも元気におうちでの楽しかったことなど話してくれて、賑やかに新しい年が始まりました。私はまとまった休みの間、本箱から溢れている本の整理をしようと取り掛かったのですが、捨てるつもりの本の中に昔の書き込みなど見つけて、また、本箱に戻したりと中々進まず、相変わらず床やベット周りに積み上げたままで新しい年が始まってしまいました。園長室の本箱も整理しなければと思いつつ、これまた昨年のままです。
 私は礼拝で、よくセルマ・ラーゲルレーヴのクリスマス物語から話をしました。女性で始めてのノーベル文学賞作家である彼女は『ニルスの不思議な旅』で有名ですが、幼い頃、毎晩昔話をしてくれた祖母の影響が大きかったと言われ、「いいかい、これは本当にあったことなんだよ」と祖母が語る、美しい輝きに満ちたファンタジーの世界を、私もぜひ子どもたちに伝えたいと思い、礼拝で話したのでした。
 昨年のクリスマスの影絵劇のことで、とても素敵なお話を聞きました。学童に来ている1年生のK君が『イワンのばか』を見た日、家に帰ってから何かじっと考えている様子。お風呂に入っているとき「イワンのばかを見てから、何だか不思議な感じがするんだ。胸がちょっと苦しいみたいな…。悲しいというのとも違う…」と話し、お風呂からあがってテレビを見ている時、ポツリと「毎日テレビを見ると、人が殺しあったり悲しいことを言っているけど、1日でもそんなことを見ない日があると良いと思うんだ」。と言ったというのです。お母さんからその話を聞いて、私は感動しました。トルストイのいわんとしたことはまさにそういうことだと思うのです。それを1年生のK君が感じてくれたこと、大きな喜びでした。
 トルストイは幼い頃、深い森をもつ広大な農場で過ごし、晩年もそこで過ごしましたが、長兄から、この森の中に「緑の杖」が隠されていることを教えられます。それは何でも望みが叶う杖であり、美しい自然の中に埋められているというのです。そして彼らは森の奥深く、ロシアの大地の中に隠されているという「緑の杖」を探す遊びをよくしていたと言われます。幼くして母を失い、伯爵という身分でありながら、貧しい農民の生活に心を痛め、人が皆幸せになるにはどうすればよいのか、そのためにどう生きねばならないかを考え続けました。兵士として戦争の悲惨さを見つめた彼は、彼の代表作といわれる『戦争と平和』を書き、晩年になってロシアの古い民話を元に、たくさんの民話を書きました。彼の思想はむしろ、こちらのほうに表れているといわれます。『イワンのばか』もその一つです。欲望や権力、財産ではなく、愛あるところにこそ人の幸せがある「人は愛し合う存在としてつくられている」という確信は、この森の中に隠れている「緑の杖」を探し求めた彼の人生につながると思うのです。
 今年もいろいろなところで子どもたちにお話をしていきたいと思います。でも、今年こそ周りの本の整理をしなければ、事務所の長瀬さんがこんなに本が散らかっていては掃除できませんよ!と…。ゴメンナサイ。
 私も森の中に埋められている「緑の杖」の存在を信じて、新しい年を迎えたいと思います。

クリスマスを迎えよう

2014年12月1日発行「おたより」第462号より

 寒くなってきました。靴下の上に、手編みの靴下カバーをはきました。そのぬくもりに感謝しながら、いろいろ考えさせられています。
これは先日、ウズベキスタンを旅行してきたしおんの職員のおみやげです。女の人が毛糸で編んでいて、その場でそれを売ってくれるのだそうです。昔、祖母や母が、冬が近づくと何枚も古毛糸で手袋や靴下を編んでいたのを思い出しました。
ウズベキスタンといえば、中東の紛争で傷ついた子どもたちを、ヨーロッパにある「子どもの平和村」で、現地ではできない医療やリハビリなどを行うために集めてきて送り届ける中継地になっているということを聞いたことがあります。世界中での貧困の格差と絶えない紛争の中で、子どもたちが心身に負っている傷の深さを思わずにはいられません。
クリスマスが近づいてきています。クリスマスにはつかの間の停戦、つかの間でも平和が訪れるのでしょうか。愛と平和の主の誕生のお祝いです。宗教が本来の意味を失って、権力者に利用されるおろかさは、イエスの時代から続いています。イエスはそのために、自ら犠牲になったとも私は思っています。敗戦を経験した際、再びおろかな戦争をしないと誓い、そうして来れた日本が、このままいかなることがあっても、平和を守り抜くことが出来るよう祈らずにはいられません。
今年はトルストイ作「イワンの馬鹿」をクリスマスのシルエット劇に選びました。トルストイはその日記に金や権力で人を働かせることは強盗と同じだ、というようなことを書いています。伯爵という地位と大金持ちであった自身の立場に、絶えず苦しみながら書いた晩年の「民話」の数々は、現代に生きる我々の希望となると思うのです。彼はまた、キリスト教だけでなく、老荘の思想に造詣が深く、それゆえ、日本に非常に深い関心を持っていたと言われます。
今、年長さんたちは生誕劇をしています。貧しい羊飼いたちにイエスの誕生を伝えてきた天使たちは、神に栄光あれ、地上のすべての人々に平和があれ、神は人を愛していますと歌うのです。人は憎しみや争うために生まれたのではなく、愛し合える存在として在ると歌うのです。
人はパンだけのために生きているのではない。平和の神の言葉に生きる存在だということを、トルストイの民話を通して味わい、クリスマスを迎えたいと思います。


「運動会」を終えて

2014年11月4日発行「おたより」第461号より


 運動会が終わり、秋が急にやってきたようなこの頃です。運動会はよい天気で、父母の方々、それにおじいさまやおばあさま方もご一緒に楽しい会にできましたこと、まず心よりお礼申し上げます。アンケートにも貴重なアドバイスをはじめ、たくさんの心温まる感想を寄せていただき、スタッフ一同、感謝と共に勇気と元気をいただきました。
 今年は、大学を出たての新人保育者が実行責任者になりました。過去の行事の資料を調べながら、主任や先輩たちの指導と協力で、準備を進めている様子を見守り、ときに準備が間に合わないとハラハラしたスリリングな準備の時間でもありました。
今年の運動会には、初めて本村小学校の校長先生が来てくださいました。同じ地域で、創立も保育園とほぼ同じころでしたが、お忙しい先生方との交流は少ない中、校長先生に初めておいでいただけたことは感謝でした。園内を歩いていると、卒園児や父母の方々から「あ、校長先生だ!」の声があがり、よい交流の時となったと改めて思っております。
 校長先生は「運動会」のイメージとはほど遠く、びっくりされたご様子で、まずこの狭い空間でできるのか、学校の校庭とか体育館を借りるのかと思われたそうです。「しおんの乳幼児の運動会」は家族や近隣の方々と戸外活動を楽しむというようなイメージで行っていることなどをお話ししました。先生も父母の方々もご一緒に身体を使って楽しんで、いろいろな活動をしていることに共感をしていただいているようでうれしく思いました。
 今年も卒園児の「やしのみとり」は数人の子が「できない」「やらない」などで参加しませんでした。しかし、卒園児の参加は今年もとっても多かったです。毎年、卒園児のやしのみとり参加者の中に、年長児のときにこうして棄権した子がいるのもおもしろいことです。各コーナーでの楽しそうな感想も寄せられました。ヤギたちも牧場からやってきて、ウコッケイもジャックと豆の木の大男の城、金の卵を産むニワトリ役で参加してくれました。裏の公園、園庭、池の庭など、いろいろな場所で様々な発見があったことでしょう。
 昔、ハンディのある子どもの療育をしているある医師の方が、子どもをプールや塾に通わせるな、通わせるなら親が一緒に習え、一緒に体験することがこどもの心身を鍛えることなんだ、とおっしゃっていたことを思い出します。卒園児もしおんの行事を、友だちと共にすごした楽しい思い出として語ってくれます。
 「ジャックの家」のテラスで絵本を読んでくれた友だちのママやパパの声、ハンモックの上にふりそそぐ木漏れ日とさわやかな風、近くで聞こえるママたちのおしゃべり、木々の中に繰り広げられるくもの巣通りやブランコやつりばし、それらを支えてくれるパパやジジたちの力強さ、ファンタジーの世界で様々な出会いを家族と共に体験できたあとの心地よい疲れ。そのような満ち足りた一日であってほしい、野山を満喫したピクニックのひとときのような一日であってほしい、と願っているのです。
 家族や友だちと共に楽しんだ思い出は、人生を味わい深いものにすると思うからです。


子どもたちといっしょに、ワッ!

2014年10月1日発行「おたより」第460号より


 先日、辰巳芳子氏の『食といのち』(文春文庫)という4人の学者との対談を興味深く読んだ。生物分子学者・福岡伸一氏、看護師・川嶋みどり氏、小児科医師・細谷亮太氏、神父でもある倫理学者・竹内修一氏の4人である。対談のはじめに辰巳氏は次のように述べておられる。

「人にとって、かならずいのちを養うはずのものを食す。手、足があたたまる。頬に赤みがさす。やる気が出てきたなどの至って当たり前な身体の反応、この薄紙を重ねるような手応えに人は頼れる自分のいのちに気づく。その頼り甲斐の集積は、やがて何かをあるいは誰かを信じる力に昇華してゆく。信じるという場から希望が育ち、藍の土目はおのずから仕上がっていくのではないか。(中略)いのちの目指すところは、生物としてのヒトが信・望・愛を秘めた人になること。ヒトが人になりうる条件は多々あるが、欠ければ、とり返しのつかぬ条件の一つに食は厳としてある。

 この対談で、それぞれに共感し、いろいろ考えさせられたのであるが、特に川嶋氏の看護現場を通してのことばは考えさせられた。

最近、看護の世界では、「口から食べる」ことの意味付けや価値付けが非常に軽くなってしまいました。(川嶋)
もう何も食べられない患者さんに、先生が「何かこれなら食べたいというものを思い出しなさい」とおっしゃったら、「鮒寿司が食べたい」と。それでね、一切れ食べたら、うまく収まって、それから毎日毎日、鮒寿司を召し上がって、とうとう元気になって退院するところまでいったということを聞きました。(辰巳)
そういうことってありますよ。(川嶋)
患者さんが召し上がるのは栄養じゃないんですよね。ものを食べるということは、人間が人間らしくあるための根源的な営みですから。(辰巳)
私の小児病棟時代は、腎炎とかネフローゼで治療中の子どもたちは食塩禁止でした。当然、塩気なしの食事で美味しくないから、食べない。ところが塩気が全然なくても一口大のおにぎりだったら食べていましたね、海苔を巻いて。(川嶋)

 この対談をうなずきながら読んで、若いころ、腎臓を患って入院していたときのことを思い出した。塩気なしの治療食で歩くこともやっとというとき、ご自分の庭でとれたと言って蜂蜜とローヤルゼリーを届けてくださった方のことである。当時珍しかったジューサーもお貸しくださって、病室で野菜と果物をしぼって飲むように言われ、そのせいか少しずつ食欲も出てきて、退院できるようになったのであった。その方はミツバチの研究者であり、レイチェル・カーソンの研究者、上遠恵子さんの父君である。
最後の対談は竹内氏の話である。

何からとりついて生命観を自分の中に確立していったらいいのか、その糸口を見つけたいと思っていた。(辰巳)
まずは、自分の普段の生活をよく注意して見ることからではないでしょうか。つまり、自分の周りで起きている出来事は、どれも決して当たり前のことではなくて、驚きの対象なんだ-そのことに気づくことから。(竹内)
レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」の、あの驚きの感覚ですか。(辰巳)
まるごとの生のいのちの体験がまず欲しいですね。それは嫌悪感をもたらすようなこともあるかもしれませんが、でも、そのような体験を通して初めて、それが驚きとして自分の中に染み込んでくると思います。(竹内)
草花を育てる、そこへ来る虫たちを観察する、犬を飼って一緒に暮らす、あるいはまだ生きている魚をさばく、泥つきの野菜を畑から引き抜く…そういう「いのちを丸ごと体験する」ということが、今の生活からはほとんど消えてしまいましたからね。(竹内)

最初の対談者である福岡氏もこのことを言っていた。「私の大好きな作家にレイチェル・カーソンという方がいて、彼女はその気づきを『センス・オブ・ワンダー』といっています。自然の精妙さに驚き、そこに畏敬の念を抱くこと。私はそういう『センス・オブ・ワンダー』が自然観や生命観の基礎となるのだと思っています」と。

 運動会のテーマは「輪! 和! ワッ! つながるよどこまでも ~不思議な世界での出会い~」である。そんな子どもたちと共に新しい発見、わくわくした1日でありますように。


土と共に

2014年9月1日発行「おたより」第459号より

 「集まった親子に、雪解けと共に山菜とりを体験してもらおう。森の中で見つけた行者にんにくやアサツキも、ひとつは山の神様のもの、ひとつは森のキツネのもの、残ったひとつをいただくといったアイヌの人々の知恵を伝えたい」
 その林の中を歩きながら、私はこの文章をかみしめていました。ここは、相馬ファーム。夏に滞在している北海道望来で、近くの図書館をよく利用しているのですが、そこで手に取った本(『朝取りホウレンソウは新鮮か?』相馬暁著/農山漁村文化協会刊)の、初めの章の文章です。「子どもと母親と共に土に触れてどろんこになる体験をして欲しいという夢を実現するために、この農場作りを始めた、幼い頃のそんなひとときが、長い人生のひとコマにあることが、間違いなく人生を豊かにする…」。そんな思いで農場作りを始めた人がいるというということに感動し、私もそんな場所が欲しいと願い続け、やっと南畑が与えられたことを重ね合わせたのでした。出版社に電話をし、その農場が望来から車で往復約5時間のところにあると教えてもらい、念願かなって訪れることができました。この本は10年近く前に出版されていて、著者の相馬氏はもうこの世にはおられなく、家族の方、娘さんと奥様が活動を続けておられました。
 相馬氏は、農学博士として農業試験場に勤務した後、教員としても活躍し、学生たちと共に、この農場も作ってこられたようで、そこは学生たちの教材としての意味もあったのかと思われます。
 2005年1月出版されたこの本は、同年3月に永眠されたという博士の、苦しい病気と戦いながらの活動だったということを知り、この本のもつ不思議な透明感と温かなユーモアにひかれて、この農場までやってきたことを思うと、いっそう感慨深いものがありました。
 「自然を忘れた人々は、生き物に対する慈しみの心、命の美しさを見失い、残酷で凶暴になりがちだ。私たちが生きていくことは、他者の命をいただくことであり、動物も植物も人間同様に生きており(中略)きれいにパックされた肉や野菜を見ていると、いつの間にかそれらが生き物であることを忘れ、命をいただく感謝の気持ちを失っていく。そんな荒廃した心が他者への思いやりをなくし、平気で人を傷つける(後略)」
 この本の最後の章の言葉です。林と農地とニワトリたちと小鳥やリス、そしてキツネと知恵比べをしながらの農作業のお話をお聞きし、皆に愛されつつ逝った博士を追悼する本をいただいて望来に戻ったのでした。
 北海道はもう秋風が吹いています。朝夕は長袖セーターが必要になるほどの冷たい風が吹いています。このあたりは冬になると、海からの強風に人はほとんど生活できなくなり、小高い海の見えるこの丘は、ほとんど無人になります。でも、雲の間から差し込む夕陽の美しさのたとえようもない輝きを思うとき、冬の風のない時間に訪れたいものと密かに願っています。
 さて、保育園は、この残暑の中、いろいろまた楽しい行事が始まります。スペシャルコンサートは、昨年に引き続いて持木ファミリーによる楽しいミニオペラあり、といっても、今年はどんなプログラムなのか分からないのですが。持木さんファミリーとその仲間たちによるコンサートは、集まった人を幸せにしてくれる1日になるだろうことは間違いないと思っています。持木さんの「耕さず、草と共に育っていく畑」自然農園は、音楽仲間でも有名で、私はそのような彼等の芸術と生き方に共鳴しているのです。
 今年も北海道で自然循環型農法や、粉作りから関わっているパン職人さんなど、土との関わりを持っている方々何人かと会いました。土と共に生きている人々の目の生き生きとしていることにいつも感動します。
 そう、草むらや泥んこ遊びをしている子どもたちのように…。


カムイの風の中で

2014年8月1日発行「おたより」第458号より

 これで3度目の斉藤牧場のはなしです。
 数年前、卒園児の慧子ちゃんから、学園生の北海道合宿に今年は行けない、という電話がきました。訳を聞くと、斉藤牧場にボランティアに来ているというのです。旭川近くのカムイというところの牛飼い、ならば、もしかして…。彼女がまだ我園の園児だったころ、私も数年間、斉藤牧場との関わりがあったのです。その偶然の不思議さに感動したことは、この欄でも以前書きました。慧子ちゃんは神奈川の大学で畜産関係の勉強をして、北海道大学の農場に就職していたのですが、忙しいのに学園合宿には何度か手伝いに来てくれていたのです。
 しおん学園成人部と、石狩の望来で夏の10日間を過ごすようになって、10年も経ったでしょうか。きっかけは、しおん保育園に関わりがあったハンディのある子が3人、続けざまに北海道の知的障碍者施設に入所したという噂を聞いたことが発端だったのかもしれません。驚いて訪ねて行ったその施設は、極めて閉鎖性の強い施設でした。3人と面会したとき、卒園してからあまり会っていなかった自閉者の一人が、床に手をついて「お願いです。園長先生、僕をここから出してください。何でもしますから、東久留米に連れて行ってください」と言ったのです。そうしてあげると約束できないことがとてもつらく、それから何度か会いに行ったのですが、だんだん諦めていく彼らの前でどうしたらよいか悩みました。北海道で彼らのための入所施設を作れないかという運動を、数年間に渡って始めたのですが、うまくいかなくて断念したのです。その間、共感してくれるたくさんの友人、知人はできたのですが、諦めざるをえませんでした。土地を提供するなどの協力者も何人か現れ、その一人が斉藤牧場の斎藤さんだったのです。
 斎藤晶さんは若いころ、旭川開拓に入り、最も自然の厳しいカムイ(神居)で牧畜を始めたのですが、それは大変で死を思うまで追い詰められながら、自然に任せる牛との生活、牛自身が山の自然の中でまさに山を拓いていく牧畜を発見したのです。奥様の苦労は想像を絶するものでした。過労と貧しさで第一子は弱く知的ハンディを持っており、第二子も生活の厳しさから身体に弱さを抱えつつ、この牧場を作って来られたのでした。斎藤さん一家のこの生き方に多くの人々が共鳴し、様々な人がこの牧場を訪れ多くを学びました。もう80代も後半に入った晶さんは、森の妖精のような風貌で、久しぶりにお目にかかったとき、小柄な身体で杖をつきながらひょっこり現れた姿は、まさにホビットの賢人が現れたかと思ったのでした。
 帰りがけに、「慧子ちゃんが、晶さんに会いたいと言ってましたよ」と伝えると、わずかに思い出したのかハッキリと「3人で来てたよ」と言ったのには驚きました。赤ちゃんが産まれてからご主人と3人でここに来たということは知らなくて、また、何もかも忘れてしまうと本人が嘆いているように、すぐ忘れてしまう状況で、突然そのことを思い出したのには感動しました。慧子ちゃんに電話して確かめたところ、確かに昨夏行ったけれど、本当に覚えていてくれたのかしら、と言っていました。はじめ、慧子という言葉にあまり反応はなかったのに、ある瞬間よみがえっていたのでしょうか。
 透明な光のようなとてもよい笑顔と共に、誰に言うともなく「人は自然に学ぶ。すべて自然の中に在る。それを今、いろんな人がそれに気がついてきている。自然の中に、生きるための全てがあるということを」と、つぶやいている彼に、また会いに来ようと思ってカムイを後にしました。

花の日の一年

2014年7月1日発行「おたより」第457号より

 今年の花の日は雨でした。梅雨の季節なのでやっぱり雨の日が多いのですが、たくさんのお花が集まり、雨の中、いろいろな方々にお花をお届けすることができました。
 清瀬のケアハウスの方からは後日お手紙が来て、お届けしたお花を食堂に飾ってくださっている写真と、心のこもった温かな感謝の言葉、子どもたちへの祝福の言葉が綴られていました。礼拝の時、それを子どもたちに読んでやりながら、今年も花の日に多くの方々から子どもたちの心に愛の種をいただいたことに感謝します。
 思えば昨年の6月のおたよりに、私は花の日の意味や私どもの願いについて書き、創立以来お世話になったさまざまな方、地域のいろいろな方と、花の日の行事を通して良い関わりを持ってきたこと。また、それと共に残念で納得できないことして、一番身近なはずの本村小学校から花の日の行事を断られたことをお伝えしました。理由として、学校は宗教的行事には関われないこと、「花の日」や「クリスマスキャロル」の行事には讃美歌を歌わず一般的な歌を歌うなら来ても良いということだったのです。納得がいかず、教育委員会に相談しても、学校と園の問題なので双方で話し合ってくれ、というだけでらちがあかない。なぜ40年続いた行事を一方的に切られるのか、理由を書面にして欲しいと学校側に申し入れをしても、出せないといわれるばかりであった、ということを書きました。一番関わりを深めたい学校と距離を置くことになったことを誠に残念に思っていましたし、父母の方からも何とか理由をはっきりさせたらという声もありました。
 そして、卒園児の父母の方やいろいろな方々が、学校と話をする機会があったようで、新任の校長先生にもお伝えでき、今回の花の日の行事については再度お問い合わせをしたところ、快く訪問を受けていただけることになりました。本当にありがたいことです。
 子どもたちも本村小のお兄さんお姉さんたち、とくに卒園児たちに迎えられて、お花と歌の訪問のお礼に歌のプレゼントをしていただけたことはありがたく感動した、と担当者が伝えてくれました。そのことを皆様にご報告したいと思います。
 これからも地域の教育機関として、互いに協力し合える関係をつくっていけることを願った次第です。

南畑親子遠足の1日

2014年6月1日発行「おたより」第456号より

 南畑遠足は本当に暑い中ありがとうございました。「5月のさわやかな日」というより、じりじり照りつける陽射しの中、よく働いたね、という1日になってしまいましたね。あたりに高い建物がないので、見晴らしがいいし、荒川の土手に守られて広々とした感じが、北海道の風景にも似てさわやかな気分ね、と何人かの父母の方々が言ってくださいました。一方で、川から吹き付ける風や、障害物がなく、まだ樹木も大きくなっていない広々とした空間は、自然の影響にさらされています。風が吹くと吹きっさらしになり、陽射しをさえぎるものがなく、やっと雨水が流れる側溝のような「川沿いの道」と、高さの違う3つの丘に囲まれた「みんなの広場」ができたばかり。それでも全員集まることができる空間となり、キャンプファイヤーや野外でのダンスなど楽しいイベントができそうだと思い、うれしく思いました。それにしても暑い中、皆さんで果物の植樹、ポニーとの競争、200本にもなろうという木々への水やり、ヤギたちの世話など、本当にさぞお疲れだったことでしょう。ありがとうございました。
 季節を肌で感じることの少ない東京暮らしというより、今はかなり全国的になりましたが、1年中寒暖の差を感じないで住む暮らしになっています。そのような快適な生活が、人が本来持っている適応能力を鈍らせているのかもしれないと考えています。それが寒暖の差や自然に対しての適応能力だけでなく、生活者としてのいわば生きる力とも関係するのではないかと思うのです。
 閉会解散後、在園児・卒園児混合グループが、途中の帰り道、近くの川で遊んでいるのを見てびっくりしました。「まだ遊び足りないのよ」と、それに付き合っておられるお母さんに頭が下がりました。
 「南畑基金」のお茶コーナー。思いがけなくたくさんのご寄付が寄せられていました。うれしい限りです。今回植えられているほとんどの樹木は、20年近く前にしおん保育園の庭づくりをしてくださった小林造園さんが寄付してくださったものです。そのときにはまだ「若い職人」というよりお嬢さんという感じの人が、堂々とした職人になっておられたり、当庭づくりに携わってくださった方々が、こうして南畑のために一日ボランティアで来てくださったのは、感動もし、感謝の気持ちでいっぱいです。小林さんは今も南畑へよく木々たちを見に行ってくださっているようで、ありがたいです。しおんの池のほとりにある、私が「ゴーシュの家」と言っている小さな小屋がありますが、庭づくりの最後の日、ひとりの職人さんが「端材でつくった」とプレゼントして下さったものです。もう随分傷みが激しいので、手をいれなければと思います。
 こんなふうにいろいろな人々に関わっていただき、守ってくださっていることに、改めて感謝。この南畑牧場も子どもたちや父母の方々と守り育てていきたいと改めて思った1日でした。

ライラックの香りの中で

2014年5月8日発行「おたより」第455号より

 木工仕事のボランティアの須藤さんは、登山と盆栽が趣味で、先日盆栽の展示会に出品したというライラックの盆栽を一日だけ園に、と持って来てくださいました。声楽の植木先生と私は札幌生まれで、同郷の友です。二人でライラックの香りの中、札幌の思い出話に花を咲かせました。園芸の松本さんが、お宅の庭のスズランを花束にして持って来てくださり、ライラックとスズランの香りに包まれて仕事ができたこの一日は本当に幸せでした。
 植木先生も、このライラックの甘い香りに次々と昔の思い出がよみがえり、2人とも話が尽きることがありません。戦争が終わり、外地からの引き上げ者が住んでいた「引き上げ者住宅」が、当時はまだ残っておりました。兵舎がそのまま図書館として使われていた中島公園は、今や大通り公園やススキノに隣接して、音楽ホールや池のある緑豊かな公園になっていますが、小学校時代の私たちの懐かしい遊び場でした。
 ライラックはどこの家の庭先にもあったような気がします。初夏を告げるライラックはとても身近な香りで、小さな十字状の花が地面に散るのが惜しくて、よく拾ってはハンケチに包んで取っておいたのを覚えています。ニセアカシアは高木なので、庭にはあまりなかったけれど、あのむせ返るような香りは、短い夏の訪れを知らせるものでした。ライラックという名は、本州ではリラという名前の方が知られているようで、なんとなくロマチックだけれど、よそ行きの名に見えたものでした。こんなふうにこの香りの中にいると、幼い頃から18歳で北海道を出てくるまでのことが一気に思い出されるのは、年をとったせいなのかどうかわからないけれど、とても幸せなことだと思うのです。
 通っていた中学は、日本海に流れ込む大きな豊平川に面していて、土手にはヤギが繋がれていました。理科の時間、植物の好きな先生は土手に出て歩きながら、ヒメジョオン、ハルジョオン、草ふじなどを教えて下さり、オオバコの草相撲を皆とやったものでした。その土手の上は、今は札幌市の主要道路になって、車がひっきりなしに通っており、到底歩くことすらできません。草丈の高い夏草を分け入って、学校の帰り道、友だちと土手に寝転んでいろいろ語り合った時の青草のむせ返るようなにおいと共に、いろいろなことが思い出されます。 
 戦争の爪痕が子どもの生活にもたくさん残されていた時代でもありました。父親が帰って来ていない人、戦死した家の子も多く、中学で働きに出る人もいたのです。それでも、幸せな思い出がたくさんあり、子どもたちは今より生き生きしていたような気がします。皆、貧しかったけれど、幼児から小学校の子が一緒に遊び、よく手伝いもしました。短い夏がすぎるとすぐ冬支度です。長い冬の間、自分たちで食物を蓄えなければなりません。大根葉の干葉、たくさんの漬け物づくり、不便な生活がもたらした豊かさが、子どもたちを育て、互いがなくてはならない存在であることを教えてくれたのです。もう一度、あの不便な貧しい生活に戻ることはできないかもしれません。でも、自然の移り変わりを感じとる感性を育てることは、まだできそうです。
 トルストイの民話『イワンのバカ』を、先日の礼拝で子どもたちに話しました。お話の最後のほうでバカなイワンの国の人々は、便利で豊かな生活を教えてやろうと語る紳士の話を理解できません。手足を使って働きづめの生活から、頭を使ってお金をもうけ楽をして生活することが利口な生き方だと、紳士がどんなに説明してもわからせることができません。そしてパンを買えずに、ついに死んでしまうという話です。トルストイの民話を読んでいると、19世紀に生きた彼が21世紀を予言していたような気がします。
 ライラックやニセアカシアは、ロシアにもきっと咲いていたのでしょうか。もうじき時計台からまっすぐに伸びている大通り公園がライラックの香りで満たされる季節を迎えます。

新しい出発

2014年4月15日発行「おたより」第454号より

 4月に入ると、園全体が何やら活気に満ちて、新しく入った子どもの泣き声までも新しい生命のきらめきを伝えてくれているような気がします。新1年生になった子たちが、次々とランドセル姿を見せに来てくれるのも、毎年楽しみに心待ちにしています。
新しい制服に身を包んだ男の子3人が、先日やってきました。新中学1年生です。中学の入学式のあと「たいくつだから新しい制服でも見せてこようか!」ということになって来たというのです。急に背が伸びた気がする彼らの、少しはにかんだ笑顔がまぶしく思えました。
高校に入ったと報告してくれた、2人の卒園児もいました。1人は大島の海洋関係の高校。もう1人は都内であり、それぞれ願いが叶っての出発です。高校、大学入学の報告もありました。それぞれ、今までより少し広い社会に入って行き、新しい出会いがあることでしょう。その中には、気が合う人ばかりではないでしょうし、嫌なことも多いと思います。でも、そこで違った感性、違った意見を持った人と出会い、そこから共に生きるということが学べるのです。それが人生にとって本当に大切なことなのだと思います。いろいろな出来事、様々な人とのかかわりを通して、人生を深く味わうことができることを、しみじみ考えさせられるこの頃です。
 先日、ある学校の入学式に参加しました。続いて入寮式があり、その中で高等部の学生が中等部の新入生に、「寮生活は楽しいことばかりではなく、時にはつらいこともある。でもここには友だちがいる。自分だけで悩むのではなく、仲間にそれを伝えてくれ。それには勇気がいるだろう。でも助けてくれというサインが出せることは重要だ。是非そういう強さを持ってくれ。自分たちは必ず一緒に考えるから。君と共に友として歩んでいくから」というようなことを言っているのを聞き、感動しました。
この国も何やらきな臭く、また、世界でも不穏な予感を感じざるを得ないこの時代を思うとき、私利私欲ではなく、他者と共に生きるということを改めて考えることの重要さと、平和への希望が、ここにあるような気がするのです。
これからの生活の中で、まず自分が良き友人となることと、友を得て人生を豊かにしていくことを、新しい出発をした子どもたちに伝えたいと思います。卒園式に一人ひとりに渡した証書の中で、愛と勇気を持って歩んでほしいと願ったように。