早川寿美子 園長便り

おひなさまの思い出

2016年3月1日発行「おたより」第477号より

 ひなまつりになると思い出すことがあります。小学校1年のころ、東京から転入してきたばかりの道子ちゃんと仲良しになり、彼女の家のひなまつりに何人かが招かれました。東京から来たあか抜けた感じの彼女は一人っ子で、どことなく札幌生まれの子とは違って、言葉も話し方も優しく静か。おばあちゃん育ちで、いわゆる「うちべんけい」の私には、ホッとする何かがあったようです。彼女が東京に行ったあとも、彼女とは長い間親しくしていました。
 さて、初めて行った彼女の家でびっくりしたのは、赤いじゅうたんの「子ども部屋」。しかも、彼女の親戚の画家が描いたという「少女」の油絵が飾られていたことでした。やがて応接間に通された私たち女の子2~3人に、優しそうなご両親が、大人に対するように丁寧なあいさつをされ、部屋を出て行かれました。女中さんが運んできた食事やケーキをいただいたあと、子どもたちでおしゃべりしながら、残りのジュースをいただいたりしていました。皆で暖かな部屋でいただくジュースの味が(冬の北海道では珍しい)、初体験でおいしく感動ものでした。私があまり喜ぶので、道子ちゃんは、台所からもう1本あったわと言って持ってきてくれたぶどうジュースがおいしくて、ほかの子は変な味と言って飲まず、私はおいしく全部飲んでしまって、会はお開きになりました。その時飾ってあったはずのおひなさまのことは、覚えていません。
 自宅に帰ってすぐ寝てしまった私は、朝、母と祖母からとても叱られました。電話がなかった時代、寒いのに道子ちゃんのお母さんが「すみちゃん、大丈夫ですか」と尋ねてこられたそうで、その時私が一人で飲んだのは、当時珍しいワインだったのです。家で山ぶどうを摘んではカメに潰して入れて作ったジュースより、香りも味もおいしいと思って飲んでしまったあの日のことを、ときどき思い出します。あの時、まるで大人に対するように私たちに接してくださったご両親、個室どころか、肩寄せあって一部屋で家族全員が過ごすような家もあった時代のすてきな思い出です。
 小学生を子ども扱いせず、一人の人として私たちにも接してくれたご両親、一人娘の道子ちゃんに対しても、丁寧な言葉と、べたべた甘やかした感じはなく好ましく思えたこと、シンプルだけどすべてに細かい神経が行き届いている家具、調度品などと共に、この日のことをおひなさまの一番古いエピソードとして思い出すのです。

音楽会

2016年2月1日発行「おたより」第476号より

 先日、チャペルコンサートで何度か演奏して下さっているピアニストで、現在しおんピアノ教室で講師もして下さっている林先生から、三宮さんのお話が出てびっくりしました。林先生のお母様もピアニストで、三宮さんはそのお弟子さんだったとのこと。白杖を手に軽やかに歩き、「階段なんかも駆け上がるようにして上っていく」ような女性だそうです。三宮さんの著書『鳥が教えてくれた空』を読んだのは、もう10年以上も前のことです。それでも鮮やかにいろいろなフレーズを覚えているほど、私にとって印象深い本でした。三宮さんの感性を通して、今まで気づかなかった世界が、手に取って見えるような気がしたのを覚えています。
急に懐かしくなって、彼女はその後、何か書いているのだろうかと調べたら、何とたくさんありました。絵本まであったのには、びっくりしました。『人生を幸福で満たす20の方法』という新書本に、林先生のお母様のことが書かれていて、心を打たれました。
 それは、彼女が子どものころから20年ほど師事していたピアノの恩師(つまり林先生の母上)が亡くなった通夜の席で、思い出話をしていた時のことです。音楽家として活躍している陽子ちゃんが、「先生はひたすら音楽を追求する楽しみを教えてくださった」「誰かさんより上手になりたいとか、有名になりたいとか、そういうことを考えなくても、音楽という世界に素直に向かっていればいいのよって言ってくださったのよね。私、その言葉でどんなに励まされたか分からないわ」と言ったので、びっくりしたという。音楽家でない三宮さんにも、先生はいつも同じように言っておられたのである。
 陽子ちゃんがプロデビューしてからも、生徒時代と変わらないメッセージを送り続け、その励ましで「安心して勉強を続けられた」という陽子ちゃんの言葉に、三宮さんは同感したといいます。「感謝よね。先生にはピアノ以外にいっぱい教えていただいたと思うわ」という言葉には、うなずくしかありませんでした。「神様はね、気がつくといいことをたくさんして下さっているのよ。だから大丈夫よ。じーっとお勉強していればそれでいいのよ」。先生のこの言葉を改めて実感したといいます。
 林先生にお母様のこと、亡くなられたころのことも何度か伺っていたのに…。ぜひ、生前お目にかかりたかったと思いました。この「陽子ちゃん」も、思えばしおんチャペルコンサートで随分前に演奏してくださったお一人でした。
さて、我が園のチャペルコンサートも、昨年12月の「講師混同(我が園の講師たちによる)コンサート」200回を迎えました。本当にいろいろな方々に力になっていただきながら続けてこられたと思います。
2月には特別企画として、オーケストラの演奏会が実現できることになりました。これもチャペルコンサートでピアニストとして協力して下さっている三谷さんのおかげです。
 三谷さんも、音楽を通して人生を深く生きる力を子どもたちに育てたい、と思っている方です。「陽子ちゃんが言うように、先生は静かに感謝して生きることの尊さを、音楽を通じて教えてくださったと思う…」という三宮さんの言葉に、私も深く共感します。特別企画は今月の13日です。ぜひ皆で楽しみましょう。

戦後70年におもう

2016年1月15日発行「おたより」第475号より

 新しい年、子どもたちは元気に登園して、口々にお餅を食べたこと、おうちの方々と楽しく過ごしたことなど話してくれました。保育園や学園のクリスマスには、昔の職員や昔の卒園児も尋ねてくれて、本当によい時を過ごしました。
 さて、新しい年を迎え、年賀状も整理した頃に、年賀状の代わりにと古い友人から手紙がきました。「戦後70年の昨年、子どもの頃のことを思い出しました」ということで、北海道の田舎での慎ましくても温かな生活の話がつづられた後、ある日の思い出をつづった文が同封されていました。ぜひ皆様にも紹介したく、この原稿を寄稿していただき、誌面に載せることを了解いただいて、園だよりに載せています。
 彼女は神学校の寮で同室でした。私は途中退学をしてしまいましたが、彼女は卒業後、牧師として教会で仕事をしていました。やがて思うところがあって、教会を離れた後、差別や平和についてのさまざまな活動をしておられたようでした。偶然、保育園からあまり遠くないところに越されたと聞いて、ぜひ手伝って欲しいと頼んで、はこぶね館でカウンセラーとしてしばらく働いてくださっていました。しかし、健康が許さず数年前に辞めることになったのですが、私としては同郷ということもあっていろいろ共感することも多く、その後もお付き合いをしていただいています。
足が不自由になった理由について「戦争がなかったら私はこうならなかったと思うの」と言われた時のことを今も思い出します。戦争で医者もいない北海道のいなかでは、事故の治療も充分ではなかったのです。そして、戦死の訃報と共に、父の遺骨と言われる箱に入っていたのは、戦地に持っていった聖書だったそうです。
 「戦争さえなかったら」、神学校の寮の部屋でポツリと言った彼女の言葉を忘れられることはできませんでした。不自由な足で信念を持ってしっかり生きてこられている彼女を尊敬の念で見ていた私は、子育て支援センターや学園のためにもカウンセラーとして、もっと活躍して欲しいと願っていましたが、外出も不自由になった今、残念でなりません(それにしても戦争がなかったらもっと活躍されていただろうに)。不自由な身体で彼女が平和についてさまざまな活動をしてこられたこと、忘れてはいけないと思います。
 どうか平和が続きますようにと祈りつつ、新しい年を迎えました。

光の行進

2015年12月2日発行「おたより」第474号より

 先日、ピアニストの三谷温氏からコンサートのご案内をいただき、私の好きなヴァイオリニストの出演やよく知られている指揮者の名前もあったので出かけました。本当にすべてのプログラムが感動的ですばらしかったのですが、一人の少年の作品が演奏されたことで、開場全体が光に満たされたような温かく特別なコンサートになったような気がしました。その加藤少年のCD『光のこうしん』は、7月にわが園で開催された三谷氏のチャペルコンサートの時にも紹介され、楽譜も販売されておりました。指揮者の大友氏のお話によれば、加藤少年が小学生のころに大友氏と関わりがあり、また三谷氏と大友氏が親しい関係でもあったことが、このコンサートに結びついたようでした。本当に美しいものが与えてくれる大きな力、本当の強さを改めて思います。幼い頃からたくさんの美しいものに出会い感動することが、どれだけ生きる上で大きな力になれることかを改めて実感した音楽会でした。
 この少年、加藤旭君が死と向かい合うようなつらい体験をしながらも、支えてくださる身近な人々に感謝をし、自分も何か出来ないかと考えたこと、恩師である三谷氏がそれを聞いてすぐにそれに応えられたこと、2人の「優しさ」がこのすばらしいコンサートになったことに改めて感動したのでした。当日は旭君も車椅子で客席に来て、体調が心配されながらも最後まで音楽会を楽しむことができました。私自身もその場に居合わせて感動を共にできたことに、感謝しています。最後にCDジャケットに掲載されたメッセージの一節をお伝えしたいと思います。

 僕が小さい頃に作った曲を、「CDにしたら」と計画してくれたのは妹の息吹です。中学3年冬から高校1年春にかけての、脳腫瘍放射線治療入院時でした。
 頭痛やだるさを抱えながら病院で一人過ごす時間はとにかくきつく、ドアが開いて誰かが入って来てくれるのを「今か、今か」と待っていました。家族や友達、先生が会いにきてくれた時の嬉しさは格別で、「自分も人を喜ばせたい、何かの役に立ちたい」と思いました。そこで妹が「お兄ちゃんは小さい頃作曲していたから、それを生かせばいい」と考えてくれました。(中略)
 今は手術の後遺症で足が思うようには動かず、目がよく見えなくなっていますが、これまでの作曲作品(約480曲)と脳腫瘍の治療や入院の経験を生かしていきたいと思います。(中略)
 5歳から10歳までに書いた曲です。このCDがより多くの人の励ましとなること、また、今闘病中の方々の命が助かることを祈っています。加藤旭(16歳)

ハロウィン

2015年11月2日発行「おたより」第473号より

 遠足はよい天気に恵まれて、皆元気に神代植物園に行ってきました。昔、しおん保育園に勤めていたT君がこちらで仕事をしているので、何かと協力を得られることもあり、昨年に続きこちらにしたのですが、T君のほか、センターの若い職員がガイドをして下さったり南畑や森の保育とは一味違う体験となったようです。
 子どもたちと歩いていると、やはり話題はお弁当です。年長の一人がうれしそうに言いました。「園長先生、あのね、今日のお弁当はかぼちゃだと思うよ」「???」「だってあしたハロウィンでしょ。お化けやいろいろな形のかぼちゃがいっぱい入っているんだ」「それはすてきね。どんなお化けたちがいるのかな」。〝ハロウィン〟が子どもの生活に入ってきているのを実感したことでした。
 私の子ども時代、8月7日の七夕の夜、七夕飾りを川に流し、夜には空き缶や提灯にろうそくを灯して、近所の子どもたちと家々をまわったものでした。「ろうそくくれ、くれよ、くれなきゃかっちゃくぞ、おまけにくいつくぞ」と歌いながら一軒一軒訪ねます。どこの家でも夜は温かい飲み物を出してくれたり、お菓子を用意していました。ハロウィンでも「お菓子をくれなきいたずらしちゃうぞ」なんて言ってまわるようですから、同じような行事だと思うのですが、北海道では8月末になると秋の訪れを実感します。この行事は秋の収穫祭的な意味合いもあったのかもしれないとも思います。かぼちゃやとうきびはおやつであり、かぼちゃはマサカリかぼちゃといってとても固く、切るのは大変でしたが、ほくほくしておいしく、種は干して、炒って、固い皮を歯でバチっと割ってこれまたおやつとして食べたものです。とうきびは皮や芯は干して皮はクレープ紙のようにして人形などを作って遊んだり、芯は冬の燃料でした。庭からとったほおずきをよくよくもんで、マッチ棒をナイフで尖らせたもので穴を開け、ほろ苦さの残る中身を吸い出してから口に含んで、舌を使いながらどれだけ長く大きな音を出せるかを競い合ったものです。とうきびのヒゲは干してお茶にし、ほおずきも薬効があったようですから、庭にあるこうした植物が日常の中で身体を守ってくれたのでしょう。ほおずきが難なく音を出せるようになると、私は庭にある3種類のブドウで同じことを試したりしました。こちらの方が甘酸っぱくておいしいのですが、皮がやわらかくすぐ破れてしまうのです。白ブドウ、茶ブドウ、黒ブドウと呼んでいた3種の中で、実が大きくて皮がしっかりしている黒ブドウで何とか音が出た時のうれしさを覚えています。
 水道がなく井戸から手押しポンプでくみ出すおいしい水をいただき、水は本当に大切に使いました。洗い物や米のとぎ汁で雑巾がけをしてから、庭の植物にやり、むだに流してしまうことは本当に少なかったです。すべてを土に返す昔の生活は、子どもたちの身体の健康を支えただけではなく、考えたり工夫したりすること、辛抱強さなど、生きる上に必要なさまざまな力を育ててくれたような気がするのです。
 小学校に入ってから友だちが自分一人で買い物に行ったということを聞いて、うらやましく思ってねだったことがあります。それまで自分でお金を使ったことがなかったのです。そのとき同居していた明治生まれの曽祖母がお金は汚いものである、子どもが持つものではないと、厳しく言われたことを今、ときどき思い出します。お金というものの性質を考えさせられます。合理性、利便性と引き換えに何か大切なものが失われている、湧き出る泉が枯れるように豊かさを消耗させてきたのではないかと思うのです。
 一枚の着物が手で洗われ、縫い直されて布団や子どもの服やおもちゃになって形がなくなるまで物の命が全うされていた生活が持っていた豊かさを思うのです。いつも手を動かしていた大人たち、けれど時間がゆっくり過ぎていたことを思うとき、お金は時間をも消耗させていくものではないかとも思います。
 ハロウィンのかぼちゃといえば北海道の知人のところで随分前に大小数個のかぼちゃをくり抜いているのを見たことがあります。玄関前に出したテーブルに乗せてろうそくを灯すのだとか。今のかぼちゃは昔のよりやわらかなので、子どもとナイフを使って楽しめそうです。そしてその後は、小豆と一緒におしるこにしたらすてきなハロウィンの日になるではないかしら、と食いしん坊の私は思ったりしたのでした。

今、考えなければならないこと

2015年10月2日発行「おたより」第472号より

 早朝のラジオを聴いていたら、北海道の清里で民宿をしている人が話していました。北海道を大きなひし形に見ると、一辺がおよそ東京から名古屋、仙台くらいの距離があり、この間をバイクで走る爽快感について。海と草原、信号のない広い道…と、ここは日本ではないと、本州から初めて訪れたときそう思ったそうです。
 私もこの夏、例年どおりに石狩湾を望む高台で学園の皆と過ごしていました。ある日突然、携帯が鳴って、今近くに来たからとの声。数年前、やはり北海道での合宿中、フェリー乗り場で突然声をかけられたTさんでした。彼はここ数年、バイクで北海道内を旅しておられるとのこと。時間があったら寄ってみるよと言っていらしたのですが、ホームページなどで学園の合宿の情報を知って、わざわざ寄ってくださったのです。彼は卒園児のお父さん、途中で直売所を見つけたのでと、とうきびを買ってきてくださいました。そこで我々の宿舎の場所を聞いてきたと言うと、休む間もなくお茶を飲んですぐ走り去って行ってしまいました。彼も、この、どこまでも広い、まっすぐな道や草原をわたる風に魅せられて、何度も道内を走っているのでしょう。彼の3人のお子さんはしおん育ち、1人は家庭を持ち、2人は仕事に忙しいらしくその気はないらしいとのこと、定年後、夫婦揃って自由にそれぞれの楽しみを持っている様子に、こちらも幸せのおすそ分けをいただいたような気がします。
 今年初めて合宿に参加した職員が、やはりここは日本?と思ったそうです。東京育ちの彼の目には、出会う風景の何かすべてが初めてのような気がしたそうです。近くの農家で採れる野菜の直売所や、早朝近くの浜での朝市で買う魚、網からはずした魚を学園のメンバーと見に行ったこと、そこでは生き生きと働く人がいて、その人たちから買う食材があること、土地が広いせいか、学園メンバーが騒いでも大声を出しても誰も振り向きもしないという土地柄が、とても心地よいのです。おそらくバイクで毎年走っているTさんも、同じように感じているのかもしれません。子どもたちが自然の中で生き生き過ごすことが、本当に心と身体が育つ上で必要だと思います。
 先日、友人から松岡享子先生を囲んで行った座談会のコピーをいただきました。参加者は子ども文庫に関わる方々それぞれ小児歯科医、助産師、元県立図書館長、歯科衛生士、生命科学の研究者などいろいろな立場から子どもと関わっている先生方ですが、その中で語り合われたことに、身体性の弱さがあったのがとても気になりました。それぞれの方が専門は違うけれども、体感することの大切さを言っておられた気がします。その会のメンバーの発言から少し拾ってみます。
 日本人は物事すべて教科書通りになることが良くて、そうならないのは失敗と決め付けてしまう傾向があるように思えます。日本の小学校、中学校、高校の科学の教育がそうですよね。
 人と人の心のあいだの橋をかけるということばの基礎工事は、親と子が、お互いに共感する快さを求めて、自発的に、無意識になにかをしているときに、自然に出来ていくものなのでしょうが、その自発とか、無意識とか、自然といったことが、今の私たちは下手になっているのかもしれませんね。
 マニュアル化せず、自分の頭でわが子を観察し考え行動する育児の大切さを伝えたいですね。
 今、私どもが一番考えなければならないことだとつくづく思います。自分自身で見て味わって感じる、身体の存在をどう感じていくかを、教育、子育てに考慮しなければならないと思うのです。

暑い夏

2015年9月1日発行「おたより」第471号より

 先月のヒスタミン中毒につきましては、皆さまに多大なご迷惑やご心配をおかけし、本当に申し訳ありませんでした。異常な暑さの続く中で、青魚の取り扱いについての知識や注意が足りなかったことについて、全職員が話し合い、今後このようなことが決して起きないよう、気を引き締めているところです。
 このような最中、多大なご迷惑をおかけした保護者の皆さまからは、これまで通りにしおんらしい食事を続けて欲しいという温かいお言葉をかけていただき、本当にありがたく感謝申し上げます。マスコミの報道で知ったという卒園児や友人、知人たちからも励ましの電話や手紙をいただき、いろいろな人々とつながっていることを改めて感謝し、今回のできごとをしっかりと今後に生かしていかなければと思った次第です。
 昔の人の知恵「鯖の生き腐れ」に代表されるような、青魚の取り扱いに注意を促す言葉がたくさんあるのに、そういう先人の知恵が生活の中から忘れられ、保存料や保存技術の発達にいつの間にか私どもも依存していたのかもしれないということも、今回考えさせられました。
 地球の裏側の海から食卓に運ばれてくるような魚を食べさせたくないと思い、どこの漁場から運ばれてきたものか、また、野菜や果物などもどういう人がどんなところで作ってくれているのか、出来るだけ知りたい、作った人と少しでもつながっている食物を子どもたちに食べさせたいと思いながら努力してきたつもりでしたが、今回力になってくださった生産者の方にも迷惑をかけ、自らの甘さをつくづく思い知らされました。
 今回の魚を送ってもらったS水産は小さな会社ですが、小さな浜で生きる漁師として先ごろNHKの番組でも紹介されました。個人的に配達するような仕事は大変で、いろいろな漁師さんに直送をお願いしても断られる中、唯一応じてくださっていた方でした。今回の件で彼らの会社にも調査が入りましたがもちろん問題はなく、迷惑をかけてしまったことをお詫びに行ったところ、かえって自分たちももっと気をつけなければ、と声をかけてくださいました。
 厚田の浜は、もう定置網の準備が終わり、秋の漁が始まるところです。「オレたちの送った魚でつらい思いをした子がいたんじゃかわいそうだ。何かできることがあったら言ってくれ!」。ご夫婦でまず最初に言ってくださったお二人の言葉が忘れられません。こういう方とつながって食卓が支えられていることを改めて感謝し、今後より一層気を引き締めて保育に向き合っていきたいと思います。

のばら

2015年8月3日発行「おたより」第470号より

 夏まつりは、最後の盆踊りの時間になって雨になってしまいましたが、急きょ、園庭から移ったホールで続けることができました。素敵な浴衣姿のお母さん方も子どもたちと踊ったり、太鼓をたたいてくださったり、ハッピ姿のお父さん方の力強いおやじソーランは、かっこいいの一言でした。子どもたちの笑顔がはじけてホールいっぱいになりました。
 普段、顔を見せない中学生の卒園生たちが何人も来てくれました。小学高学年から中学生になると年々急に背が伸びて、声をかけられてもとっさに名前が出てこないことも多くなりました。「先生!」と声をかけられて振り向くと、大学生になった卒園児でした。今、部活が忙しくて今日も来られないかと思ったけれど、ドーナツが食べたくて買いにきたこと、園長がいろいろな人と話をしているので、園長には挨拶だけして帰ろうと思って、ここで待っていたと言って帰っていきました。幼児の頃の面影を残しつつも、急に大人びた話し方をする彼を頼もしく思いながら、ドーナツの袋を持って帰る後ろ姿を見送りました。
 子どもたちはこの夏、どんなふうに過ごすのでしょうか。夏まつりのあれこれを思い出しながら聞くともなしにラジオを聴いていると、人間国宝の杵屋淨貢(きねやじょうぐ)さんの話が流れてきました。淨貢さんが子どもの頃の思い出を話されていたのですが、とてもやさしい「お兄さん」とのかかわりと、その方がある日、特攻隊として出陣していった日のことを静かに話されていました。彼が「未来への提言」に関わっていることの思いを話されていたのですが、確固たる平和への思いが伝わってきました。このイベントに高校生たちの合唱があるのですが、その高校生たちにご自分の体験、思いを伝えると素直な反応があること、いろいろ感じてくれているのがわかる、と言っておられました。そして彼らの合唱に、それが表現されていくこと、確実に深められ感動が伝わっていくことがうれしいことだとおっしゃっていました。被爆しながら奇跡的に修復され、こうして平和のために今なお戦争の悲惨さ、平和の大切さを伝えようとしている被爆ピアノも、この「未来への提言」の活動を続けてこられている朗読家の飯島晶子さんによると、そんなものを運んでこられて迷惑だとか、放射能の害は本当にないのですか、などということで上演を断られて、随分大変なことがあったそうです。今年は彼らの地道なしっかりした活動のおかげで、多くの人々の認める活動となって、公的な援助も得られるよし、期待したいものです。
 今年のクリスマス上演予定のシルエット劇は『のばら』です。戦争の悲惨さを体験して、たくさんの美しい童話で、人の弱さと美しさを描いた小川未明の作品です。その朗読を飯島晶子さんに、ピアノ演奏を梯 剛之さんがしてくださっています。きっと良い作品になると思います。お楽しみに。
楽しい夏休みを過ごしてくださいね。

しおんのピアノ発表会に

2015年7月1日発行「おたより」第469号より

 先日、ピアノ発表会がありました。小学生から大人まで28人、そのうちほとんどが卒園児です。また、卒園児のお母さんが何人かいます。趣味として新たに始められたのです。親子で参加している人もいます。楽しい発表会で、終わってから夕食を一緒にします。発表会に出ている子の友人たちも来て、さながら同窓会のようになります。指導してくださる先生も2人になりました。
 ピアノ教室を始めたのは、開園して2~3年経ったころだったでしょうか。当時、自閉症といわれていた子が、オルガンの音に興味を示したことが発端でした。音大で教育課程を修了したばかりの人に来ていただいてみていただいたのです。もともと、近くに国立音大があって、リトミックの指導者も来ていたことも幸いでした。先生も何人も代わりましたが、音楽を好きになってほしい、楽しんでほしいと、先生方にはお願いしてきました。親には言えないちょっとした悩みごとなどもピアノの先生には話したり、教室がとてもよい交わりの場ともなっていたようです。
 発表会のあとの夕食会では、難しい年ごろになって来た子どものお母さんが、先輩お母さんにアドバイスをもらったりもしながら、親たちのおしゃべりが弾んでいる一方で、子どもたちも声変わりした男の子同士で何やら話し込んでいる姿もみられました。まるで大きな家族のような……。
 このピアノ教室には、お子さんも通ってきていない方が何人か、毎年発表会の手伝いに来てくださったり、以前ピアノ教室に来ていた卒園児が、赤ちゃんを連れて聴きに来てくださったり、本当ににぎやかです。ありがたいことです。
 夏まつりも、こんなふうに卒園した方々が集って来てくださればいいなと思いながら、いつまでもこのような交わりが続くことを祈りました。

遠足とお弁当

2015年6月1日発行「おたより」第468号より

 土曜日には真夏の暑さの中でしたけれど、親子遠足にご参加いただきありがとうございました。子どもたちは大はしゃぎで、大人は少々お疲れでしたね。でも、全体のゲームは保護者全体で楽しめたこと、感謝です。それにしても綱引きは、毎年私も楽しみにしています。若い力?ってステキ。子どもの目にもきっと、真剣な父母の姿、はじける笑顔が何とも頼もしく、楽しい思い出のひとコマになったことと思います。
 それにしても外で、家族や仲間といただくお弁当って、どうしてあんなにおいしいんでしょうね。子どもたちのうれしそうなお弁当のときの顔って、本当に幸せそうですね。
 ラジオで毎朝、10分くらいの健康番組をよく聞くのですが、日本人の長寿について、興味あることを話していました。いろいろなデータから、元気で長生きの条件として、いつまでも仕事をしていること、そして仲間がいることが大きいのではないかというのです。農村漁村で各々の年齢にあった仕事があり、また長年の知恵が生かされていること、近所付き合いや家族の関わりが強いことをあげていました。
昔、札幌の私の実家に、長女が一人で行ったときのことです。戸が開いていて、のぞくと居間に祖母(私の母)がいなくて、知らない人が座ってお茶を飲んでいた。その人が「ここの母さん、今、用足しに行ってる。入ってお茶でも飲んで待っていなさい。あんた、すみちゃんの子かい?」などと言いながらお茶を淹れてくれたのでびっくりした、と今でもよく話しています。我が家を離れて20年以上も経っているのに、と私も驚きました。このような関係は、確かにうっとおしいこともあるけれど、なんとなくホッと、温かな安心感のようなものも同時にあるのではないかとも思うのです。
 ある和食の料理人が、毎日食べても飽きない食事について話しているのを聞いて、なるほどと思いました。毎朝の炊きたてご飯、味噌汁、漬物は、毎日食べても飽きない、汁の具や、漬物などに季節のものをいただき、器に季節を表すものを使うこと(冬は土もの、夏はガラスなど)が日本の食だというのです。変わらないもの、いわば定番というものがあるからこそ、行事や家族のお祝いごとなどのハレの食事がひときわ喜ばしいものになります。日本人の長寿の研究は世界の人々から注目を集めているそうですが、こうした家族や地域とのつながりと、いつまでも誰かのために役立っているという生きがいが、四季の恵に感謝する食の営みと共に食を支え、食の文化というべきものをつくりあげてきたのでしょう。
 春のお花見と秋の運動会の朝、祖母と母が前日から仕込んでいた太巻きをいよいよ巻くときになると、私はどきどきしながら台所に行って、母の手元を見つめます。太巻きをお重に詰めるときに、包丁をぬれ布巾で拭きながら切るのです。その両端の切り落としを狙って、姉と私はかたずを飲んで母の手元を見つめていたのです。あのときの期待に満ちた緊張と、口に広がった何とも言えないおいしさを、太巻きを見るたびに思い出します。
あのようなハレの日の興奮を、あのどきどき感を、私も自分の子どもに味わせることが少なかったことを、少し後悔しています。

アキニレ

2015年5月7日発行「おたより」第467号より

 先日、「我家の庭に咲いているので持ってきました」と、スズランの花束を2束くださった方がいた。保育園で週に数回、植物の手入れをしてくださっているM先生で、歌の講師の植木先生と私が札幌出身ということを覚えていて、この素敵な春の香りを2人に届けてくださったのである。
 スズランの香りの中、昔の北海道のスズランの群生してる光景を思い出し、植木先生と「春になるとよくスズラン狩りに行ったね」などとひとしきり昔ばなしに花が咲いた。近くにスズランの群生地として有名なところがあり、自転車やバスで皆よく連れ立って出かけた。むせ返るような香りと、どこまでも広い空を覚えている。その群生地は、見送りに来た教え子たちにクラークが、有名な「少年よ大志をいだけ」と告げたあたりとされる。「羊が丘」とも近かったので、高校時代に友人たちとスズランを抱えて羊が丘でお弁当を食べたことなどを思い出したりした。
 その時、あの群生地には、ほかの植物が生えてなく、なぜスズランばかりになったのかという話になり、ヤギの放牧によってほかの木や花が育たなく、ヤギが食べない毒草であるスズランだけが残ったからだ、ということを知った。
 南畑牧場のヤギたちが土手にのんびりと草をはんでいる光景は、牧歌的で平和な光景であるが、半年近く雪に埋もれている北海道で、やっと芽吹いた草や木の芽が食べつくされていく様子を想像すると、北国で生き抜いてきたヤギの生命力の強さを思わされる。また同時に、あの可憐なスズランがその過酷な自然の中で身を守って来たことを重ね合わせて考えさせられたのであった。
 ゴールデンウィークには、南畑牧場に滝山しおん保育園のひと組の家庭が来て、こいのぼりを泳がせていた。広々とした庭でこいのぼりが元気そうだった。ヤギたちと遊び、飯ごうでご飯を炊き、カレーライスを作り、2歳から小学生まで、実に楽しそうに真っ黒になって次から次へと遊びはつきなく、生き生きと子どもたちが遊んでいる姿が頼もしく嬉しかった。
 先日、落合恵子さんのラジオ番組の「絵本の時間」の中で、『はるにれ』(姉崎一馬 写真/福音館書店)という写真絵本について話されていた。彼女がハルニレが欲しいとずっと思っていたら、知人が「ハルニレ」をくださったので庭に植えたが、専門家に聞いたら、これは「アキニレ」というもので、似ているけれど種が違う植物だと言われた。でも庭でどっしりと存在感を持って立っていると言われていた。
 小林造園さんが、南畑の風景を北海道の風景に近いものにしたいと、私が願っていることを覚えていてくださって、今年植えてくださった3本の「アキニレ」は、今、堂々と新芽を出して本当に北海道のハルニレのように立っている。「アキニレ」に会いに南畑に遊びに行きませんか。

入学式のころ

2015年4月15日発行「おたより」第466号より

 今年もピカピカの新1年生たちがご両親と一緒に、小学校の入学式のあとに来てくれて、晴れやかなお祝いムードに包まれた1日になりました。保育園も新入園児を迎えて、心せわしく慌しいとき、文字どおり桜吹雪の中、彼らの訪問はホッとする嬉しいひとときでした。
 それにしても、ランドセルがカラフルで軽く、背負いやすそうで、平和で豊かな日本を象徴しているようです。戦争が終わって、まだ外地からの引揚者の住むところや仕事もままならず、物も十分とはいえないころに、私は小学校に入学しました。親に買ってもらったランドセルは、豚革のゴワゴワして重いものでした。当時、よく発熱して、身体が弱かった私に背負わせるのがかわいそうだったと、同居していた曾祖母から後で聞かされました。ワンピースはフラノ地で、多分大人の古い上着か何かから母が縫い直してくれたのだと思います。きれいな色がなくて、グレーの重たい生地で、着て立っているだけで疲れるほどでした。でも嬉しかったのは、襟に紫のスミレの花を刺繍してくれたこと、豚革のランドセルには、鮮やかなボタンの花が描かれていたことでした。幼いころ、色の好みがはっきりしていて、赤や黄色は嫌で、紫を好んでいた私のために、両親が心配りをしてくれたのだと思います。貧しく物資も乏しい時代だからこその工夫や心遣いだったのでしょう。肩にずっしり重かったワンピースと、よくなめしていないゴワゴワの重いランドセルを、懐かしく思い出すのです。
 先日、ふとTVをつけたら、フィリピンのミンダナオ島で、親を失った子どもたちと共に暮らしている一人の日本人家族のことが紹介されていました。宗教的な対立、政治の不安によって、家族や土地を奪われた子どもたち、飽くなき豊かさの追求がこうした小さな島の平和な生活を脅かしているのでしょうか。一緒に暮らしている子どもたちと共に、島のいろいろな集落に絵本を配り、読みかせをしているこの活動をしている人を見てびっくりしました。その人は、私が高校を出て東京に来たばかりのころ、属していた教会で一緒だったご家族の一人だったのです。その方、松居友さんの父上は編集者で、絵本の専門家の松居直氏です。私もよく絵本についての勉強をさせていただきました。お子さんたちはまだ小さかったのですが。私が保育者になってから、昔話の研究会の講師をされていた彼の話を聞く機会があり、懐かしく思ったものでした。
 7~8年前、ある講演会で松居直氏とお話しする機会があって、友さんのことをうかがうと、フィリピンの小さな島で絵本をトラックに積んで島々を回って楽しそうにやっている、と言われていました。友さんが難民救済というような意識ではなく、目の前で家族を殺され心が凍りついたような子ども、生きる希望を失った子どもたちに絵本を届け、まさにいのちのパンを届けている姿に見入ってしまいました。複雑な政治問題を抱える場所で、大変な危険と隣り合って、毎日をたくさんの笑顔とともに何の気負いもない柔らかなほほえみの友さんの映像を見ながら、私は声を出して泣いていました。涙がとめどなく流れていました。
 便利さや快適さを求める人類の歩み、その豊かさの恩恵、恵みと同時に、それによって失われること、脅かされることを知らなければならないでしょう。
 この時期に毎年思うことです。卒園する子、入園する子、小学、中学、高校、大学などの入学の知らせと笑顔を見るたびに、この今の喜びを失わないよう平和を奪われないよう、切に思うのです。そして、心から祈るのです。