早川寿美子 園長便り

雪の思い出

2021年3月1日発行「おたより」第535号より

 大雪についての報道を今年も随分聞いた、何年かぶりの大雪だと…。何となくニュースを聞いていると、雪の下敷きになる事故が多いのに気がついた。雪が降ると、家の周りで行ってはいけない場所があった。つまり、屋根の雪おろしが間に合わないので、雪が落ちてくるところに巻き込まれるから、注意することは当たり前、1階の屋根にのぼって雪おろしをするのは、子どもの仕事でもあった。
 高く積みあがった庭の雪めがけて屋根から飛び降りて、新しく降り積もった雪に人型をつける遊びもよくやった。まだ、札幌市内にも馬車や馬ソリがあった時代、吹雪であたりが見えなくなる登下校は、注意が必要だった。馬の鼻息と共に、シャンシャンという鈴の音を聞く。真っ白い世界からたくさんの荷物を運ぶ馬の姿は、本当に「カッコイイ」。白い息を吐きながら重い荷を引く馬に、道路わきに出来た雪山に張り付くようにして、雪道を馬に譲った。吐く息が白く、そばを通り過ぎる馬にワクワクした。通学路でも吹雪であたりが見えなくなる世界、音を聞き、あたりの様子をはかりながら歩く……。歩いて20分ぐらいだったろうか。小学生の頃の思い出である。
 自然の美しさや厳しさを味わう体験が、私の子ども時代にはまだ日常的にあった。今、札幌でも東京と同じように、屋根から落下する雪に埋もれてしまうことがニュースになることに考えさせられる。自然の中でさまざまなことを学び、生活の中で得られた「知恵」を、都会でもある札幌で育った私の世代が、もう忘れてしまっているのか。雪のない東京での生活が長くなったことだけでなく、雪とのかかわりが商品としての「雪まつり」になったように、人の生活と自然とのかかわりが大きく変わっているのだとつくづく思わされる。
 雪の降ったあとの静けさと、一面に新雪が広がっているところに足を踏み入れるときのなんとも言えない感動、大げさに言うと、新しい大地に足を踏み入れているような感じとでも言えるだろうか。そういう朝の澄み切った空気を思い出す。自然の中で知らず知らずに鍛えられ、身につけていく知恵と感性、子どもが育っていくプロセスの中で大切なことではないか。そんなことを、とりとめもなく思いめぐらせていた。
 子どものころ、3月に入るとつららからしたたり落ちる水の音と、春めいた日の光がまぶしかった。そんな日の光を、雪の輝きと共に思い出すのは、「コロナ」ということを忘れて、雪の中で「おしくらまんじゅう」を子どもたちとやってみたいという妄想から生まれたことなのかしら……。

オニは外!

2021年2月1日発行「おたより」第534号より

 先日、鬼打ち豆の見本を見ました。小袋に炒った豆を数つぶ入れたものを、男の先生方が数人で子どもたちの前にあらわれて……、どのような豆まきになるか楽しみです。今回は、年の数だけみんなで食べるということはクラスではせずに、おうちに持ち帰って食べていただくことになります。コロナ対策であちらこちら消毒をしていますが、拾ったのものを食べないようにということのほかに、拾った豆を鼻の穴に入れたり、ちゃんと噛まずにふざけてのどに詰まらせたりといった事故も心配されます。最近、ブドウをのどに詰まらせた事故も報道され、飲み込む食事の中で起きた事故をどうやって防ぐか……などを考えざるをえません。
 昔は今より情報が多くなかったから、世の中全体で誤嚥による乳幼児の死亡などという事故があっても一般に知らされなかったのか、あるいは、なかったのかよくわからないのですが、私は何となく老人より乳幼児は唾液が多いので、あまり心配なかったような気がしますので、実際、事故は少なかったのでは?とも考えています。
 幼い頃のわが家を考えてみても、私の子ども時代、わが家では「ながら食べ」をさせなかったことを思い出します。私の曾祖母は曹洞宗の永平寺のそばで育ち、身内に仏門に入った人もいたと聞きます。食事のときはあまりおしゃべりせず、「ながら食べ」なんてもってのほか。曾祖母だけ箱膳を使って、食事の最後にお茶でよく洗って飲み干し、箸やお椀をお膳にしまうのを、不思議に思って見ていました。あそび食べ、ながら食べなど許されず、かなり厳しかったことを覚えています。
 誤嚥を起こすような食べ方をさせない、という宗教的な食への畏敬を学ばせるしつけがあったと思います。食をとても重要なこととし、宗教的な意味合い、命への畏敬が背景にある、ということです。しゃべりながら食べたり、わがままを言うことは、幼い人にそれほどさせない家庭が多かったと思います。ふざけたり、「食べ物をおもちゃにする」など、一番してはいけないことでした。「きちんと正座して黙って食べる」などは、しつけの第一歩でした。正反対のことのようですが、これが季節を感じたり、香りのイメージをつくれたり、楽しく食べる、食事を楽しむ力を育てたのかもしれません。不自由な今だから、このようなことを家庭の食卓でもう一度考えることも、大切ではないかと思います。戦中戦後の食卓を支えてきたものは何かを、最近ふと思うこの頃です。

センス・オブ・ワンダー

2021年1月15日発行「おたより」第533号より

 ラジオ深夜便で、上遠恵子さんのおはなしを久しぶりに聞きました。昆虫学者だった彼女のお父上は、私が学生時代に通っていたキリスト教会でご一緒でした。保育園をつくるときにも、お父上の援助が大変大きいものでした。恵子さんには二度、来園をお願いしてレイチェル・カーソンとの出会いなど、いろいろお話をうかがう機会をもつことができたのですが、最近は遠出が難しいとのことで、お目にかかれる機会もなく、久しぶりに大変なつかしいお声を聞くことができました。
 コロナの影響でいろいろな方とお目にかかることも不自由になりましたが、久しぶりにおたよりなどいただくと、なつかしさがひとしお身に染みる感じがします。恵子さんのおはなしでは、《センス・オブ・ワンダー》を日本語でしっくり訳せる言葉がみつからず、作者カーソンの言葉のままにしたそうです。日常の子どもの生き生きとした遊びや、さまざまな行動を見ていると、本当にいろいろな発見や感動、生き生きとした心の動き、好奇心のままにダイナミックな活動に導かれ、新しい世界を知っていく子ども時代の豊かさを思います。そして、人とあまり会えないこの時代だからこそ出会えること、豊かで新たな世界を発見できるかもしれない。そうなるといいな、とふと思いました。
 制約がある中で、発見できる豊かさとでもいうのでしょうか…。家族で夜空を見上げて星座を探してみたり、旅行に行けるようになったらどこへ行こうなどと家族で相談したり、今流行っているといわれるお菓子作りやお料理をしてみたり…、子どもと一緒にできることを考えてみませんか。
 日常が大きく変化した今、子どもと一緒に新しい発見ができるといいですね。久しぶりにレイチェル・カーソンの著作を、ゆっくり読み返してみようかな。

家族で過ごす時間

2020年12月1日発行「おたより」第532号より

 今、年長さんたちとクリスマスに演じるページェントの練習をしている。ページェントは、イエス様のお生まれになった夜の出来事を劇にしたもので、毎年子どもたちは自分が何を演じたいか考え、イメージを作っており、最近はマリア様役の取り合いになることもときにはある。
 毎年、私はほぼ1週間ほど年長児と一緒にページェントの劇遊びをしている。クリスマスの出来事が子どもたちにとってどのように響いているのか毎年楽しみにしており、卒園児も円形ホールで座りながら、「ここで先生と一緒にページェントしたね~」などと言ってくれる子もいる。
 そのようなことを思い出しながら子どもたちと讃美歌を歌い、一緒にセリフを考えたり、皆でそれを演じたりする時間は短いけれど、やはり、クリスマスの訪れを子どもたちと待ち望むうれしい時である。今年はコロナ感染症対策で難しいことも多いけれど、子どもたちの心に身体全体にクリスマスの喜びを感じてもらいたいものだと思う。
 この時期はよくクリスマスにまつわる絵本などが出回る頃。お家でも一緒に読んでみては?
 少し大きい子にはセルマ・ラーゲルレーヴの『聖なる夜』がある。彼女は『ニルスのふしぎな旅』の作者だが、彼女はこの本の冒頭で自分の幼児の頃のクリスマスのことを書いている。彼女はクリスマスイブの夜、家族が集まってお祝いの食事をして、家じゅうの大人たちがクリスマスミサに出かけた後、暖炉の前で赤ちゃんや幼いセルマたちが残って大おばあさまにクリスマスのお話を聞くのが楽しかったと言っている。この本は、クリスマスにまつわるさまざまな伝説のようなお話が語られ、幼いセルマにこのような表現が大きな影響を与えたと思われる。
 クリスマスイブの晩餐の後、クリスマスミサに出かける昔の人々は、ちょうど私の幼い頃の正月の迎えかたに似ている。大晦日に家族が集まり、除夜の鐘が終わると神社に参拝に出かける日本の風景である。私の子ども時代、大晦日は夕方まで大忙しで、正月の準備を家族中でやり、家族で集まりごちそうを食べる習慣だった。元旦はお雑煮とおせちのお重で、家族で静かに過ごした記憶がある。
 今年のクリスマスは、その時の昔のクリスマスやお正月の過ごし方を想いながら、家族で過ごしてみませんか? ちなみに、私は幼い頃、このたのしい2大イベントが近づく12月がうれしく、廊下のガラス窓に何かおまじないの絵を描いて(氷が張って指で文字など描けた)うれしいことが逃げていきませんようにと願ったことを思い出す。戦後、まもなくのことで、日本中が貧しく、でも、残された家族が寄り添って助け合って生きた時代のことである。そして、幼い頃の最も幸せな時の思い出である。

運動会ありがとう

2020年11月4日発行「おたより」第531号より

 コロナ禍の中、行事をどうやって楽しく行えるか考えさせられています。みんなで悩んだ末に考えたのは、運動会を乳児・幼児と2部制にし、秋まつりと合わせて行うことでした。
 街中がコロナ対策のせいで、今までのようなことがほとんど出来なくなりました。何とか子どもの成長をみんなで喜びたい、また、このような時だからこそ、それが必要なのだという思いで行うことが出来ました。
 年長の一人が「〝やしの実とり〟させてください!」と私に言ってくれました。園の創立時から続いている「やしの実とり」は、子どもにも大人にもいろいろな発見をさせてくれます。しっかり大人に支えられて、励まされ、自分の力で全力を尽くした先に見えるものがあり、新しい発見があると思ったのです。当時、近くにまっすぐな竹があったことから思いついたものでした。
 小さい子たちは年長児が練習しているのを見て、彼らの雄姿に憧れてきました。しかし、大人たちが1本の竹を支えて子どもを応援する「やしの実とり」は、コロナ対策としては危険すぎるので、あまり練習も出来なかったのですが、当日は保護者の皆さんのご協力で無事に行うことができました。子どもたちの力強さに、私たちは本当に感動しました。勇気をもって協力してくださったお父さん方、応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

幼児食は、介護食?

2020年10月1日発行「おたより」第530号より

 保育園児が食事をのどに詰まらせた事故があったということで、保育園などの規制がきびしくなっている。国からの通知を読んでいると、介護食の作り方と錯覚するほどである。これからおやつによく食べるブドウも、四つ割りにして食べてもらうのだ。
 確かに私の子ども時代は、年寄りから乳児までが一緒に暮らす中、食卓もいろいろな人(親戚や近所の人まで、各世代の人々が混じっている)が同じテーブルを囲むことも多く、その中に乳幼児もいた。赤ちゃんはいろいろな食品を、いろいろな人から、ときには硬い食べ物を大人の口でかみ砕いて与えられもしていたのだ。
 衛生的ではなく、問題も多かったであろう。でも、同じテーブルについて共に食事する生活の中で、食卓の豊かさが心身をつくっていったような気がする。我々の世代はほとんどの人は温かい食事はフーフーして与えられ、少し硬いかな、などと大人が自分の口で確かめてから与えられるという経験をしたのではないか…。そのために虫歯菌が幼いころからすみついていたのではないかと、虫歯をそのせいにしている中高年の人もいるとか。
 離乳中期からは、いろいろな味を覚える時。いろいろなものを見たり、触ったりして味を覚えることが、食べられるようになるために必要だということを、昔は経験上知っていたのであろう。
 とにかく、昔はテーブルマナーはうるさかった。正しい姿勢で食べること、歯触りを感じ、よくかんで食べろなど、ずい分うるさく言われたものである。
 食物を粗末にしないこと。余分なおしゃべりをしないこと。ましてや、TVを見ながらの食事など論外であった。戦後、貧しくて子どもを飢えから守るため、栄養失調から救うことが栄養指導の目的であった時代に、子どもの食事の指導がなされ、論じられてきていたが、今、この飽食の時代の食事指導はどのように考えるべきなのだろうか。決して介護食と同じではないはずなのだが…。

離乳食

2020年9月1日発行「おたより」第529号より

 先日、赤ちゃんから2歳くらいまでのお子さんのいる、地域のお母さん何人かと話す機会があった。遊び食べや落ち着きのなさなど、いろいろな困ったことを話されていた。私が驚いたのは、全員が「離乳食」を買っているということ。「おうちで作らないの?」と聞くと、パッケージに「〇カ月用」と指示があるのでわかりやすし安心だという。「お子さんはそれで飽きない?」と聞くと、いろいろな種類があるので、そのようなことはないとのこと。今は離乳食後期から幼児移行食まであるらしい。
 そういえばもう10年以上前になるだろうか、1歳~3歳用の食事について、ある企業から意見を求められたことがあった。保健師、保育士、小児歯科医などの研究会の席上だったと思う。企業は研究開発に随分時間をかけているのだと改めて思う。しかし、パッケージの指示をたよりに食事を与えるということに、どうしても違和感を覚えてしまうのだ。はたしてそれを食事といえるのか。
 私の幼いころは、祖父母、親、たくさんの子どもたち…という、多世代が一緒に暮らす家庭がほとんどだった。私の家にも祖母がおり、老人用にやわらかな食事や、細く切った漬け物などがあり、1歳頃の子どもは祖母から軟らかな食べ物を与えられた。また、大人が噛み砕いたものを幼い子どもの口に入れてやるという食事風景も、ごく普通であった。
 衛生的に問題がないわけではないけれど、そのような「食事風景」が食事の重要なところではないだろうか。今、コロナが怖くて友人たちが共に食事を囲むことが出来なくなっているけれど、それでも共に会食を楽しみたい、というのが多くの人の希望であろう。食事とは本来そのようなものなのではないか、たとえ、幼児や赤ちゃんであっても…。

牧場での卒園式

2020年8月3日発行「おたより」第528号より

 先日、卒園式を南畑牧場で行いました。
 コロナ騒ぎのために延び延びになっていた卒園式。ついに牧場で、屋外での卒園式ということになりました。みんなが遊びに来ていた牧場でなら集っても屋外だし…ということになり、日曜日、梅雨空を心配しながらも何とか出来ました。
 紫色の冬用のガウンを着て、皆で神妙な顔をして――。
 屋外用の音響セット設置も大変でしたが、渡辺英理先生の美しい電子ピアノと神田先生の力強いチェロの音が広い牧場に響き、それはとても祝福された卒園式だったと思います。
 「年長さーん!」と呼びかけると、胸をはって口をとがらせて、「違うよ1年生だよ!」と叱られました。立派な小学生でしたね。
 式が終わると、冬用ガウンを脱いで、さっそく園児に戻ってあそびました。(泥まみれの人もたくさん! さすがしおんっこ)
 ポニーのキンちゃん、チョコちゃんも来て一緒に遊んでくれましたね。この牧場もあなた方と同じように成長してゆきますから、いつでも遊びに来てね。新一年生さん!

時間

2020年7月1日発行「おたより」第527号より

 自宅にいる時間が多くなってテレビやラジオを見聞きしていると、コロナ対策のせいで、みんな家族で家で過ごす時間が多くなって大変だ、と伝えている。
 そういえば、私の子どものころは誰も家にいない家ってあったのだろうかと、
ふと思う。札幌と言っても、当時は小さな町で、近所はみんな顔見知り。家には必ず誰かがいた。同じ敷地内におじの家があって、自分の家みたいに出入りしていた。
 それでも、大人はのんびりと座っている人はいなかった。季節の仕事、漬物などの保存食づくり、布団の打ち直し、子どもの服の直し、障子や襖の張り替えなど……。これらは大仕事で、子どもにやれることは少ないけれど、「ちょっとそっち持ってて!」など、手伝えることも多かった。日常的には、手押しポンプでの水汲みは子どもの仕事だったから、たらいでの洗濯は大仕事だった。外の七輪で魚を焼いたりするのも子どもの仕事で、結構出番はあったのである。つまり、家の中で家族がそろっていても、何かとやることがあったということだ。
 夕ごはんの後は、それぞれの仕事や勉強などして、みんな同じ部屋で過ごした。多分、全部の部屋で暖房や電気を使うのがもったいなかったり、その頃自分の部屋など持っている人はいなかった。狭い部屋でなんとなく自分のコーナーを持って、それぞれやりたいことをしていた。そのようなときは、ラジオといってもNHK第一、第二、地方局の3局しかなかったから、みんなで同じものを聴いていた。
 家族はそれぞれ手仕事があって、私はほとんど本を読んでいた。とても不器用で、手仕事はあまり役に立たなかったようである。3歳上の姉は器用で、小学生のときに足踏みミシンで私にスカートを作ってくれた。私は雑巾すら縫えなくて、小学校に入って家庭科で「運針」の時間にどうしてもできず、指が血だらけ。となりの男の子に、針の糸を通してあげるからと、布巾を手縫いする作業を代わりにやってもらっていたことを覚えている。
 そんな子どもでも退屈はしなかった。ラジオを聴きながら、マンガのような絵を描いたり、寝転がって本を読んでいた。子ども部屋なんてないから、居間の隅で寝ていたので、家にひとつのラジオがいつも聞こえていた。夜中? 幼い子どもにとっては「大人の時間」に毎晩のように聞こえてきた古関裕而(こせきゆうじ)の「ハモンド・オルガン」を、美しいなぁと思って聴いていたのを思い出す。思春期になっていくつかの教会に出入りするようになって、その「ハモンド・オルガン」を思い出す電子オルガンに出会ったときの、なんとも言えない懐かしさを思い出す。結局、私はその教会で洗礼を受けた。
 先日、テレビから、「みどりの丘の赤いやね…」という懐かしい歌が流れてきた。この歌が流れると祖母も姉も居間にちゃんと座って、ラジオドラマに耳を傾けていた。今やっている朝ドラ『エール』の主人公のモデル、古関裕而氏の曲である。今よりゆったりと時間が流れていた時代、家族が夕方にはみんなそろって、それぞれの手仕事や作業、勉強など、何かしら手を動かしながら、心が満ち足りた時間を過ごしていた時代(このドラマは当時孤児院と言われた、戦争で孤児になった子どものための施設での物語であった)。
 近くに家族や親族がいるということは、大人たちにとってはわずらわしいこともあるだろう。けれども、家族と過ごす時間が今とはケタ違いに多かった。この時間の豊かさについて考えさせられたのである。いろりやストーブの火でつくる煮物のにおいとともに、家族と過ごした満ち足りた時間のことを。

春の公園で

2020年6月1日発行「おたより」第526号より

 コロナ、コロナで、何か不安でうっとうしい気分になりがちですね。皆さんもご家族で過ごす時間が長くなって、それぞれ大変なことも多くなったのではないでしょうか。
 保育園では、みなさんのご協力に感謝しつつ、お子さんが少ないうちにカリキュラムの話し合いをしたり、教材を作ったりして、保育園内に元気な子どもたちの笑い声が響く日が早く来ることを願いながら、いつもとは違うこのときを大切に過ごしています。
 先日、日曜日の夕方に近くの公園を犬と散歩していたら、めずらしく5〜6人の少年たちが、広場のほうでボールを蹴って遊んでいました。中学生かな? いやもう高校生になっているかな? などと、彼らの元気な声を聞いて思いながら、木立ちの中を歩いていると、彼らがこちらに走って来ました。「園長先生!」と一人が声をかけてくれました。卒園児たちだったのです。「何年生になったの?」とたずねると、今年、中学三年生になったとのこと。卒業式・入学式が行われない今、思春期まっただ中の彼らの笑顔がたのもしく思えました、一人ひとり、幼児の頃の面影を残しつつも、全員たくましくなって、背丈は私を超していました。彼らを見上げながら、そのさわやかな笑顔に心が温かく、うれしくなりました。
 赤ちゃんのときからしおんで育った仲間同士が、こうして今もこんな笑顔で、生き生きと楽しそうに一緒に遊んでいる姿に、感動してしまいました。そのような彼らに会えたことへの感謝と、彼らを神様が導いてくださり、これからもお守りくださるよう祈りつつ帰途についたのでした。

新年度を迎えて

2020年4月16日発行「おたより」第525号より

 新入園のお子さんが入園し、新しいお友だちを迎えて新しい年度が始まりました。卒園式ができなくて、状況が落ち着いたら卒園・入園を祝う会としてやりましょうということになったけれど、心からお祝いできるように早くなってほしいものですね。
 このようなときに、うれしいこともありました。毎年卒園式の花をお願いしている花屋さんから電話があって、「しおんさんは、マスク大丈夫ですか?」というのです。花屋さんでもマスクが必需品で、アルバイトの方の分も含めて、マスクをケースで買っているとのこと。「保育園でマスクが不足していて大変ということを聞いたので、2ケースの在庫があるので差し上げます」という電話だったのです。卒園式をしないので今年は卒園式の花が必要でなくなったことを伝え、2ケースのマスクをいただいてきました。
 また、私の知人をとおして93歳のおばあさんから、手作りのティッシュケースをいただきました。卒園のお祝いとして小さな子どもたちに何かプレゼントをしたいという方がおられるということを聞き、昨年からいただくことになったのです。かわいい模様の布をいろいろ見つけては「おばあちゃんの仕事」と買っていらっしゃるのは、会社の社長をしておられる息子さんだそうです。おばあちゃんは、毎日朝からミシンをかけて、小さな人たちの手元に届けられるのがうれしい、とはりきっておられるとか…。
 なんとなく新型コロナが…と、ともすれば暗く不安定な気分がただよっている今、卒園や入園を晴れ晴れとした気持ちで迎えられないけれど、このお二人からのプレゼントは本当にうれしく、会ったこともない一人ひとりのことを想い、いただいたマスクや、かわいい模様のケースに包まれたティッシュが、子どもたちを包んでくれるようです。この大変なときに、本当に人の思いやりの気持ちが、一層心にしみたできごとでした。
 新しい年度が始まりました。たくさんの「うれしさ」を子どもたちと共につくっていきたいと思っています。